日本サルヴヱージ株式会社
The Nippon Salvage Co., Ltd.種類株式会社
本社所在地 日本
〒143-0016
東京都大田区大森北一丁目5番1号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度35分14.2秒 東経139度43分40.2秒 / 北緯35.587278度 東経139.727833度 / 35.587278; 139.727833
日本サルヴェージ株式会社[注 1](にっぽんサルベージ、英: The Nippon Salvage Co., Ltd.)は、東京都大田区に本拠を置く日本のサルベージ会社の一つ。日本サルベージ協会加盟。日本のサルベージ会社では唯一国際救助者連盟へ理事を送り出している。クレーン会社の日本サルベージサービスとは関係ない。 1934年(昭和9年)9月21日、日本の損害保険会社主導の下、当時のサルベージ業界の二強であった「帝国サルヴェージ株式会社」と「東京サルヴェージ株式会社」が統合し、日本サルヴェージ株式会社が設立された。太平洋戦争(大東亜戦争)中は、国策として業界を1社に集約した「日本海難救助株式会社」へ統合され、社員・船舶は海軍へ応召、各艦隊へ組み込まれたりしたが、敗戦後は国策会社は廃止され、当初の社名へ変更した。 今日では、シンガポール以東、西太平洋地域では最大のサルベージ会社。国内での同業他社は、深田サルベージ建設等数社存在するが、同社の社名も見てもわかるとおり、そのほとんどは海洋工事などへ業種をシフトしている。日本サルヴェージも海底ケーブルを敷設する工事部門を持っているが、売り上げの大半は海難救助に依存している。このため、現在では日本サルヴェージは自他共に認めるサルベージ業界のリーディングカンパニーといえる。
概要
主要船舶
海難救助船(サルベージ船)「航洋丸」(2,474総トン、10,000馬力)東京都の尖閣諸島調査団の母船として使用
海難救助船(サルベージ船)「早潮丸」(497総トン、4,000馬力)[2]
作業台船「開洋」
作業台船「海進」[3]
作業台船「正国」[4]
作業台船「海島」[5]
沿革
1893年(明治26年)12月、三菱長崎造船所が海難救助事業を開始。
1917年(大正6年)、東京サルヴェージ株式会社設立。同年、三菱長崎造船所の海難救助部門・山科海事工業所・松田海事工業所を併合し、日本海事工業株式会社設立。
1918年(大正7年)、帝国海事工業株式会社設立。
1924年(大正13年)、日本海事工業株式会社と帝国海事工業株式会社が統合し、帝国サルヴェージ株式会社設立。
1934年(昭和9年)9月21日、帝国サルヴェージ株式会社と東京サルヴェージ株式会社が統合し、日本サルヴェージ株式会社設立。
1937年(昭和12年)、香港港外に坐礁した、浅間丸の救助作業に着手(1938年(昭和13年)救助成功)。この顛末については内藤初穂著「太平洋の女王 浅間丸」に詳述されている。
1939年(昭和14年)、上海に事務所を開設。
1940年(昭和15年)、東京月島に技術研究所兼潜水技術員養成所を新設。
1949年(昭和24年)、水中電気切断の実用化。
1965年(昭和40年)、水中電気溶接の実用化。
1979年(昭和54年)、海洋事業部を設置。