日本グランプリ_(2輪)
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日本グランプリ(にっぽんグランプリ、にほんグランプリ、Grand Prix of Japan )は、日本で開催されるオートバイレースの名称である。
目次

1 概要

2 歴代日本グランプリ優勝者

3 日本GPが開催されたサーキット

4 関連項目

5 脚注

概要

1963年に第1回の世界選手権日本グランプリが鈴鹿サーキットで開催された。その後富士スピードウェイでの開催も含め1967年までに5回開催された。

1987年に世界選手権が再び開催されるまでは、全日本ロードレース選手権の鈴鹿サーキットで開催される最終戦に「日本グランプリ」の名称が使われた時期がある。

1987年に再び鈴鹿サーキットで日本グランプリが開催されるようになり(同年にはF1日本グランプリも開催されるようになった)、以後鈴鹿サーキットではWGP/MotoGPとF1、両最高峰レースを開催するようになる。

1999年よりツインリンクもてぎと鈴鹿サーキットの隔年開催となる。しかし初開催されたツインリンクもてぎでの開催実績が良かったことから日本で年2回開催になり、2000年より春に日本グランプリが鈴鹿で、秋にパシフィックグランプリがもてぎで開催されるようになった。この2000年の日本グランプリでは地元日本勢が125ccが1位宇井陽一、2位上田昇、3位東雅雄、250ccが1位加藤大治郎、2位宇川徹、3位中野真矢、500ccが1位阿部典史、3位岡田忠之と、表彰台計9ポジションのうち8ポジションを独占する快挙を成し遂げている。特に250ccは3人が絡み合うようにチェッカーを受け、1位から3位までがわずか0秒231(4位のオリビエ・ジャックは約15秒離されている)という大会史に残る大接戦であった。

しかし2003年大会で、MotoGPクラスで加藤大治郎の死亡事故や、アレックス・バロスマルコ・メランドリが大怪我を負う事故が相次いだことから鈴鹿サーキットの安全性が問われ、2004年以降の同サーキットでの開催が中止、ツインリンクもてぎでの開催が日本グランプリとなっている。なお現状鈴鹿サーキットがMotoGPセーフティー・コミッション(この2003年の事故を契機として、MotoGP参加ライダーを中心に構成された安全委員会)の求める項目を満たすにはスペース的な問題で実現がかなり困難である上、この年にFIMのグレードA認定が取り消され、グレードB認定サーキットとなった為(MotoGPの開催にはFIMグレードA認定が必要。2011年現在日本でグレードA認定を受けているサーキットはツインリンクもてぎのみである)鈴鹿サーキットでの日本GP開催は現状ほぼ不可能な状況であるといえる。

2010年大会は、当初の予定では4月23日 - 25日に第2戦として開催予定だったが、アイスランドエイヤフィヤットラヨークトルの噴火によって大規模な空路封鎖が発生し、ライダーやチーム関係者の移動が困難になったため、10月1日 - 3日に開催が延期された[1]

2011年の大会は4月22日 - 24日に第3戦として開催予定だったが、東日本大震災の影響で9月30日 - 10月2日に延期された[2]福島第一原発事故による放射線の影響を警戒するライダーが多く一時は開催が不安視されたが[3]FIMがイタリアの第三者機関に委託した調査の結果、放射能の危険は無視できる程度であると報告され[4]、最終的にはほぼ全てのライダーが参戦し無事開催された。
歴代日本グランプリ優勝者

地の色がピンク色の部分はノンタイトル

年サーキット50cc125cc250cc350cc結果
1962鈴鹿 T.ロブ(ホンダ T.ロブ(ホンダ J.レッドマンホンダ J.レッドマンホンダ)詳細
1963鈴鹿 L.タベリホンダ F.ペリス(スズキ J.レッドマンホンダ J.レッドマンホンダ詳細
1964鈴鹿 R.ブライアンズホンダ E.デグナースズキ J.レッドマンホンダ J.レッドマンホンダ詳細
1965鈴鹿 L.タベリホンダ H.アンダーソンスズキ M.ヘイルウッドホンダ M.ヘイルウッドMVアグスタ詳細
1966富士 片山義美スズキ B.アイビーヤマハ 長谷川弘ヤマハ P.リードヤマハ詳細


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