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NIPPON CROWN CO., LTD本社が入居する御殿山ビル
種類株式会社
本社所在地 日本
〒141-8573
東京都品川区北品川6丁目5-27
御殿山ビル3F
設立1963年9月6日
業種情報・通信業
法人番号6011001047726
事業内容1. 音楽ソフト・コンテンツの制作・販売・配信
2. 楽曲の制作
3. アーティストの発掘と養成
4. アーティストの興業その他出演に関する業務
5. 楽曲の管理と出版業務
6. 上記に関わる一切の業務
代表者代表取締役社長 片岡恵介
資本金2億5000万円
純利益1億0822万4000円
(2023年02月28日時点)[1]
純資産54億7302万9000円
(2023年02月28日時点)[1]
総資産63億5450万9000円
(2023年02月28日時点)[1]
主要株主株式会社第一興商
外部リンク日本クラウン株式会社
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日本クラウン株式会社(にっぽんクラウン、Nippon Crown Co., Ltd.)は、日本の総合音楽企業。商標名はクラウンレコードで、1973年から1990年の間は、正式社名もクラウンレコード株式会社としていた。 1963年9月、日本コロムビア常務兼レコード事業部長だった辣腕プロデューサーの伊藤正憲が、有田一壽(若松築港社長、後に新自由クラブ参議院議員)と三菱電機の支援を得て独立。 馬淵玄三(五木寛之の連作小説[注釈 1]のモデルになった同社文芸部ディレクター)、斎藤昇(同ディレクター、後に社長?会長)、星野哲郎(作詞家)、米山正夫(作曲家)、北島三郎、水前寺清子、美川憲一らが伊藤を慕い行動を共にした。 日立グループの日本コロムビアから三菱グループへの鞍替えに困難が伴い、北島の楽屋を訪れた斎藤と星野が脱藩の決意を眼力だけで訴えた経緯は、盃事に脚色した『兄弟仁義』に昇華、レコード・映画化され大ヒット。同社の礎を築く[2]。 日本クラウンは、追って創立されたミノルフォンと共に、自前の工場を持たず制作とプロモーションに特化してアーティスト主導の業務内容を打ち出した日本初のレコード会社で、プレスは、プレス専業社のヤンマー音響や東洋化成等に外注する形を採っていた[注釈 2][3][4][信頼性要検証]。
沿革