この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "日本オタク大賞"
日本オタク大賞(にほんオタクたいしょう)は、毎年末あるいは年始に1年のオタクシーンを振り返るイベントである。その年を象徴する作品やトピックに対し、大賞ならびに審査員賞等が与えられる。 第1回が2001年末に新宿ロフトプラスワンで開催され、それ以来恒例イベントとなっている。審査対象はアニメ、漫画、特撮映画をはじめハイテク製品や時事問題、訴訟や倒産した会社まで多岐に渡る。現在は登壇者が各々の専門ジャンルからその年のトピックをプレゼンテーションし、登壇者と観客の投票により大賞が選ばれ、各登壇者が個人賞を選定するスタイルとなっている。 このイベントならびに賞には権威的な意味づけはなく、オタクの放談イベントと表現したほうが正確である。しかし、大賞には悪意や皮肉のない、賞賛を込めた作品が選ばれることが慣例となっている。一方で審査員賞や特別賞では、物議を醸した作品に対して皮肉を込めて賞が贈られることもある(例:『千と千尋の神隠し』・DVDの色調問題に対し「赤熊賞」など。同作品がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したことになぞらえて)。大賞受賞者には賞状の授与とインタビューが行われるほか、各賞受賞者からはコメントを取っているため、受賞の事実と賞の名称は当事者に通知されていると思われるが、賞の内容によってはノーコメントとする受賞者も少なくない。 当初は岡田斗司夫・唐沢俊一のオタクアミーゴスメンバーを中心とし若手評論家らとともに進行するスタイルであったが、若いオタク世代との間にあるギャップは埋めがたく、岡田は「2005」を欠席し、「2007」以降も不参加となった。唐沢もご意見番的ポジションに移ってゆき、「2008」は欠席。これにより、「2008」は初めて若手メンバーのみで開催されることとなり、その後も多少のメンバー入れ替えがありながらイベントが継続されている。 スピンオフ企画として、2008年より年に数回「オタク大賞R」というイベントがスタート。本大賞を補完する内容でありながら新生オタク大賞メンバーによる、新イベントといった色が濃いものとなっている。 2012年4月より、毎月テーマを決めて行われるイベント「オタク大賞マンスリー」が公開放送形式でスタート。会場での観覧、またはニコニコ生放送での視聴が可能。 初期の審査の模様はMONDO21で特別番組として放送された。2002年と2003年の内容は「日本オタク大賞」[1]として、2004年の内容は「日本オタク大賞2004」[2]として、共に扶桑社より書籍化されているほか、年によっては同人誌としてまとめられている。
概要
年表
日本オタク大賞2001
2001年12月1日、「侵略放送パンドレッタ 2002 SPECIAL 決定!第一回日本オタク大賞」と銘打って開催。出演者はオタクアミーゴス(岡田斗司夫・唐沢俊一・眠田直)に加え、氷川竜介・切通理作。司会は鶴岡法斎。MONDO21での放送は1時間番組だった。
日本オタク大賞2002
2002年12月2日、「決定!第二回日本オタク大賞」と銘打って開催。この回より前編・後編の2時間番組となる。出演者は岡田・唐沢・眠田・氷川・切通・鶴岡・米澤嘉博・児玉さとみ。司会・進行にカンザキカナリ。
日本オタク大賞2003
2003年12月2日、「決定!第三回日本オタク大賞」と銘打って開催。HDDレコーダー・ガンダム業界(『機動戦士ガンダムSEED』)・萌え部門・ゲーム部門を集中的に取り上げるコーナーが設けられる。メインコーナー審査員は岡田・唐沢・東海村原八