日本の黒い霧
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日本の黒い霧
著者
松本清張
発行日1960年5月10日(日本の黒い霧I)
発行元文藝春秋(雑誌『文藝春秋』)
ジャンルノンフィクション
日本
言語日本語
形態雑誌掲載

ウィキポータル 文学

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『日本の黒い霧』(にほんのくろいきり)は、松本清張によるノンフィクション作品である[1][2]

初出は月刊誌『文藝春秋』で、1960年1月号から12月号にかけて連載された[1]。アメリカ軍占領下で発生した重大事件について、清張の視点で真相に迫った連作ノンフィクションである[1]。「黒い霧」という言葉が流行語になるほどの社会現象を起こし、清張にとっても代表作の1つとなった[1] 帝銀事件発生時の帝銀椎名町支店、1948年1月26日
作品の背景

松本清張は推理小説だけではなく、ノンフィクションや歴史ものなど多岐にわたる分野を手がけた作家である[3]。清張が歴史を扱った作品には、おおむね3種類がある[2]。すなわち、古代史を扱った『古代史疑』や『清張通史』といった作品群、第2次世界大戦前の昭和期をテーマとする『昭和史発掘』、そして、終戦後に発生した事件を題材とする『日本の黒い霧』の3種類である[2]

保阪正康によれば、占領期という時代は1945年8月のポツダム宣言の受諾から1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立状態を回復するまでの6年8か月にわたる期間である[4]。『日本の黒い霧』で扱われている事件の多くは、まさにこの占領期に発生したものである[1][5][6][7][8]

『黒い霧』は、この時期に起きた一連の怪事件に潜む「アメリカ」の陰謀を比喩した言葉である[7] 。一連の作品の先駆けとなったのは、『日本の黒い霧』発表の前年にあたる1959年に同じく『文藝春秋』に連載された『小説帝銀事件』(1959年5月号から7月号に掲載)だった[7][9]。『小説帝銀事件』はアメリカ軍占領下の「黒い霧」の深層に切り込んだ最初の作品となって、読者から大きな反響を得た[7][10][11]

清張は『小説帝銀事件』で見出した主題を発展させて、連作ノンフィクションの形式をとって『日本の黒い霧』を執筆した[7][9]。清張は『日本の黒い霧』においてこのような形式を取った理由について、『朝日ジャーナル』1960年12月4日号に発表した『なぜ「日本の黒い霧」を書いたか』で次のように記述している[6][7][12]。小説で書くと、そこには多少のフィクションを入れなければならない。しかし、それでは、読者は、実際のデータとフィクションの区別がつかなくなってしまう。(中略)それよりも、調べた材料をそのままナマに並べ、この資料の上に立って私の考え方を述べたほうが小説などの形式よりもはるかに読者に直接的な印象を与えると思った。 ? 『別冊太陽 日本のこころ No.141』、pp.118-123.。

『日本の黒い霧』を執筆した当時、清張は51歳となっていた[10]。第二次世界大戦の終戦から15年が過ぎたものの、一連の事件はまだ記憶に新しい時期であった[10]。清張は『日本の黒い霧』によって徹底的な調査と多くの資料に基づいて「調べた材料をそのままナマに並べ」それらを自身の視点による推理で繋げていくスタイルを確立した[6][7][10]。このスタイルは後の『昭和史発掘』にも受け継がれていくことになり、同時に「文春ジャーナリズム」というべき新たな調査報道ものへの道を切り開いた[6][7][13]郷原宏は『清張とその時代』(2009年)で「もし清張がこの作品で開拓した道がなければ、児玉隆也『淋しき越山会の女王』、立花隆『田中角栄研究』、本田靖春『不当逮捕』といったノンフィクションの秀作は、少なくともあれほどタイムリーなかたちでは世に出なかったはずである」との評価を与えている[6]
構成

『日本の黒い霧』に収録されているのは、以下の事件である[5][6][7][8][14][15]。題名の後の年月は、事件発生の時期である[15]。既に述べたとおりほとんどが占領期に起きた事件であり、最初の10話は事件、最後の2話は占領期の歴史を包括して記述する形式を取っている[8]

下山総裁謀殺論(改題:下山国鉄総裁謀殺論、1949年7月)

運命の「もく星」号(改題:「もく星」号遭難事件、1952年4月)

謀略疑獄-その氷山の一角(改題:二大疑獄事件-昭電造船汚職の真相、1948年9月、1954年1月)

北の疑惑-白鳥事件(改題:白鳥事件、1952年1月)

諜報列島-亡命ソ連人の謎(改題:ラストヴォロフ事件、1954年1月)  

革命を売る男・伊藤律(1955年7月)

征服者とダイヤモンド(1945年9月)

画家と毒薬と硝煙-再説帝銀事件(改題:帝銀事件の謎、1948年1月)

白公館の秘密-白い手の機関と鹿地事件(改題:鹿地亘事件、1951年11月)

推理・松川事件-真犯人への視点(改題:推理・松川事件、1949年8月)

黒の追放と赤の烙印(改題:追放とレッド・パージ、1950年7月)

謀略の遠近図(改題:謀略朝鮮戦争、1950年6月)[5][6][7][14][15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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