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この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。
日本の運転免許
英名 Driving licence in Japan
略称免許
資格種類国家資格
分野自動車・オートバイ
試験形式筆記試験・技能試験・適性試験
認定団体都道府県の公安委員会
後援交通安全協会・自動車教習所
根拠法令道路交通法
特記事項有効期限があり、更新しなければ失効する。免許の条件などによって、運転時にメガネを付けることやオートマチック車限定などがある。
ウィキプロジェクト 資格
ウィキポータル 資格
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日本の運転免許証の表面
(2021年現在交付されているもの)
日本の運転免許(にほん の うんてんめんきょ)は、日本国内において、自動車および原動機付自転車の運転を特別に認める免許のことである。日本の制度では、国家公安委員会・警察庁交通局の管理監督を受ける国家資格となっている。また、日本で最も取得者が多い国家資格でもある[1]。そのため、国内で単に「免許」と表現した場合、運転免許を指すのが一般的である。
本稿では記述を簡易にするために運転免許で許可される事以外については言及や注釈を省略している。実際に該当の自動車を運転する場合は「所有権」や「利用権」など運転免許の以外の取得が必要である。自動車に付属する他の免許が必要な装置の操作や未成年の飲酒、麻薬の乱用などは本稿以外の法律で対処される。 運転免許の制度・規則については、道路交通法および下位命令により規定されており、その管理は各都道府県の公安委員会が行うが、実際の業務は法令の委任により都道府県警察が行っている。運転免許証は各都道府県公安委員会名で交付される。 道路交通法上で使われる『自動車』という用語には自動二輪や大型・小型特殊自動車も含まれる。これは自動車を「原動機で動く車両」と定義しているためである。なお、『車両』とは、「自動車、原動機付自転車、軽車両及びトロリーバス」である。明確に原動機で動く車両と定義されているため、「移動式ピクニックテーブル」(原動機で動く車両の十分条件である。)を公道で走行させた場合、議論の余地はなく明確に検挙できる(オーストラリアでは明確に自動車と区分されないため、警察は「危険だから乗らないように」と案内するにとどまっている。[2])。 道路交通法が適用される道路において、自動車や原動機付自転車は免許を受けていない者は「運転してはならない乗り物」となっている(道路交通法第64条、無免許運転の禁止)。この条文では運転免許を受けた者に関する言及はされてない。ただし解釈としては運転免許を受けた者は「特別に運転することを許された者」という立場である。ゆえに運転免許は、行政法概念上でいう「許可」にあたる。 以降、本項においては断りない限り「運転免許」は単に「免許」と記載することがある[注 1][注 2][注 3]。 日本で初めて自動車が走ったのは1898年(明治31年)とされているが、その5年後の1903年(日露戦争の前年)に、愛知県で日本初の自動車免許制度である「乗合自動車営業取締規則」が制定された[3]。この制度が対象としたのは、個人の自家用自動車ではなく、当時「乗合自動車(のりあいじどうしゃ)」と呼ばれた乗り物つまり現在のバスのようなものであった[3]。だが当時は一般庶民が「乗り合い自動車」に乗ることはなく、そもそも自動車を一度も見たことがない人々が大勢いて、当時都市部で乗り物に乗せてもらう場合は人力車が一般的で[3]、人力以外の乗り物としては(馬車があり、その他には)路面電車が走っているような状況だった[3]。 1907年(明治40年)には警視庁(つまり東京府の警察)が「自動車取締規則」を施行し、東京で自家用車を運転できるのは運転免許取得者だけになった[3]。日本における自家用車のための運転免許制度としては、この東京の制度が最初のものである[3]。ただし、自家用車の運転者の制度といっても、実際にこの運転免許の対象となった人の数は非常に限られ、しかも会社の運転手や車掌など、仕事で運転する者に限られていて、たとえばこの運転免許の取得者の第1号は、三井財閥の三井家に馬車の御者(ぎょしゃ)(つまり馬車の運転手)として雇われていた渡辺守貞という人物であった[3]。警視庁における自動車登録台数は、初年度にもかかわらず、わずか16台だったとされている[3]。免許証は木製のものが交付された[3]。 運転免許制度が全国的になったのは1919年(大正8年)であり、この年に全国統一の交通法規「自動車取締令」が施行された[3]。世界中で大ヒットしたフォード・モデルTなどの大量生産車が日本にも輸入されて普及し、それに応じてこの「自動車取締令」が施行されたのである[3]。
概要
歴史
初の免許制度
東京における運転免許制度の開始
日本全国の運転免許制度の開始