日本の貿易史
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17世紀の長崎のポルトガルのキャラック船。『南蛮屏風』(狩野内膳筆)黒船来航により蒸気船ミシン、近代的な紡績機などが齎らされた。

日本の貿易史(にほんのぼうえきし)では、日本の対外貿易に関する歴史を説明する。歴史的に蝦夷地琉球等と呼ばれてきた地域の貿易についても記述する。世界各地の貿易の歴史については「貿易史」を参照
概要
古代

日本列島最終氷期が終わったおよそ1万年前にユーラシア大陸から切り離され、以降は外の国や地域との交流を行う際には海を渡る必要があった。農耕社会の前から交流は始まり、沿岸や島伝いに移動が行われていた[1]。弥生時代の後半から、北部九州と朝鮮半島南部との交易が盛んになった。弥生時代の重要な輸入品は朝鮮半島中南部の加耶[注釈 1]で産する鉄や青銅だった。古代の貿易は外交に結びついており、東アジアでは中国の冊封にもとづく朝貢が中心となった。日本列島においては邪馬台国によるへの朝貢や、倭の五王[注釈 2]によるへの朝貢が行われた[2]

律令国家の成立で国号が日本となり、朝廷による管理貿易が進むと、遣唐使のように外交使節に付随して貿易が行われた。航海技術の発達と、大陸の情勢の不安定化により、私貿易も次第に広まった。平安時代後期には平氏が日宋貿易によって経済的優位を得て、初の武士政権が成立した[3][4]。平安時代以降は砂金が輸出されて、東北や北海道からの産出が中心となった[注釈 3][6][7]。中国から輸入された品物は唐物と呼ばれて重宝され、西アジアや東南アジア由来の唐物もあった[注釈 4][4]
中世

平氏が隆盛をもたらした日宋貿易は鎌倉幕府でも引き継がれ、輸出品は砂金、木材、そして火薬の材料となる硫黄などがあった[注釈 5][9]。宋の滅亡後は元との貿易や戦争があり、元ののちに建国された明には室町幕府が朝貢を行い、日本刀なども送られた[注釈 6]。中世から近代までは貿易用の貨幣として銀が世界的に重要であり、戦国時代には日本列島に灰吹法が伝わって生産が増えて、銀が東アジアを中心に流通した[注釈 7][12]

14世紀から16世紀には、倭寇と呼ばれる集団が活動する。倭寇は日本、朝鮮、中国の沿岸で密貿易や海賊、商品用の奴隷の捕獲などを行った。倭寇の原因には日本や高麗の戦乱、中国のの海禁などがある[13]。また、インド洋経由でポルトガルオランダ、太平洋経由でスペインが東アジアに来航して、南蛮貿易朱印船貿易が行われた[14]。戦国時代には、日本国内や朝鮮半島で捕虜とした人間を取引する奴隷貿易も行われた[15][16]。輸入品は、古代末期から中世にかけて陶磁器が増え、宋銭をはじめとする中国の銅貨も輸入されて日本で通貨として用いられた[17]。中世から近世にかけては朝鮮半島の木綿や中国の生糸などの繊維製品が中心となった[11]
近世

江戸幕府のもとで貿易が制限されて、長崎、対馬藩、薩摩藩、松前藩が貿易を独占した。貿易の相手はオランダ東インド会社や、中国の明・の商人、李氏朝鮮琉球王国アイヌだった。輸出品は貴金属の金、銀、銅が中心で、輸入品の支払いにあてられた。輸入品には生糸、砂糖、漢方薬、高麗人参などがあった[18]。貿易によって国内の貴金属が減少すると、通貨の貴金属含有率を下げる改鋳が行われた[19]。幕府は貴金属流出の対策として貿易量を制限し、現在は輸入代替と呼ばれる政策をとった[20][21]

18世紀後半から通商を求める諸国が日本に来航して、紛争となる場合もあった。アヘン戦争以降に来航が増加して、国内でも貿易の拡大や海外進出についての提案が出されるようになった。アメリカ合衆国との通商条約をきっかけに、欧米諸国によって開港が進められて、明治維新の一因にもなった[18]
近代

産業革命以後は工業製品の貿易が中心となる。明治政府は幕末からの不平等条約の改正と外貨の獲得を課題として、工業化を進めて欧米諸国との条約改正を実現した。日本貿易の拡大のテンポは世界貿易の中でも早く、貿易額の対GNP比率は、企業勃興期には14%、日清戦争後は21%、日露戦争後は25%と急増した。貿易額は増加をしつつも貿易収支では赤字が続き、特に日清戦争・日露戦争の期間に大幅赤字となった[22]

第一次世界大戦中には輸出産業の発展によって産業の中心が農業から工業へと変化し、世界恐慌後には貿易に代わって植民地化やブロック経済による自給自足体制を推進した[23]。第二次世界大戦までの輸出品の中心は、綿と絹の繊維製品だった[24]。輸入品では戦略物資である石油が重要となり、アメリカ、イギリスをはじめとする連合国との開戦の一因となった[25]。植民地や併合地域では、資金調達のためのアヘン貿易も行われた[26][27]
現代

第二次世界大戦後の復興から始まり、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)をはじめとする国際機関に加盟して、西側諸国として自由貿易を推進した。日本は大量生産体制を確立して、鉄鋼、自動車、家電の輸出を伸ばす一方で、輸出の増加は他国との貿易摩擦の原因ともなった[28]。輸入品では、重化学工業のための石油をはじめとする鉱業資源、衣料品、食料品、パルプ原料となる木材などが重要とされる[29]

世界の総貿易額の対GDP比は1960年代の24%から2000年代後半には60%以上に上昇する一方で、日本の貿易額の対GDP比は2000年代初頭まで20%前後で推移し、2000年代に20%を越えた。この要因は、アジア圏内の貿易の拡大と、原油価格の上昇とされている。1990年代以降はアジア圏内での産業内貿易が急伸して、日本の最大の貿易相手国は2007年にアメリカから中国に代わった[30][31]


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