離島を含む日本の東西南北端(沖ノ鳥島、南鳥島は省略)
本土の東西南北端
自由に到達可能な東西南北端
北海道
本州
四国
九州日本の端の一覧カモイワッカ岬
日本の端の一覧(にほんのはしのいちらん)は、日本の領土の東西南北端の一覧である。
なお本項では日本の自治体における東西南北端についても記述する。
離島を含む日本の東西南北端日本最東端の碑(南鳥島)日本国最西端之地碑(与那国島)
離島を含む日本における東西南北端。
最北端
択捉島・カモイワッカ岬(北海道蘂取郡蘂取村 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度33分28秒 東経148度45分14秒 / 北緯45.55778度 東経148.75389度 / 45.55778; 148.75389)
日本が領有権を主張している範囲の最北端である。1946年(昭和21年)2月2日からロシア(当時はソビエト連邦)が実効支配しており、民間人はビザなし交流、またはロシア経由で渡航が可能である。ロシア経由の査証渡航については、ロシアの主権を認める行為であるため、日本政府は自粛を呼びかけている[1]。
弁天島(北海道稚内市 北緯45度31分35秒 東経141度55分9秒 / 北緯45.52639度 東経141.91917度 / 45.52639; 141.91917)
現在の日本の施政下での最北端である。宗谷岬沖の岩礁で、通常の交通手段で訪れることが出来ない。
最南端
沖ノ鳥島・北小島(東京都小笠原村 北緯20度25分30.6585秒 東経136度4分11.1766秒 / 北緯20.425182917度 東経136.069771278度 / 20.425182917; 136.069771278)
数十 cmの露岩2つからなる島である。浸食保護のため日本政府の管理下に置かれており、民間人が上陸することは困難である。一方、中華人民共和国(中国)、中華民国(台湾)、大韓民国(韓国)、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は「島ではない」と主張している。
最東端
南鳥島・坂本崎(東京都小笠原村 北緯24度16分59秒 東経153度59分12秒 / 北緯24.28306度 東経153.98667度 / 24.28306; 153.98667)
島に施設を有する海上自衛隊と気象庁の職員のみが上陸可能で、それ以外は工事関係者や研究者に限られるため、上陸には特別な許可が必要である。
最西端
トゥイシ(沖縄県八重山郡与那国町 北緯24度27分5秒 東経122度55分57秒 / 北緯24.45139度 東経122.93250度 / 24.45139; 122.93250[2])
与那国島の沖合にある岩。自由に到達可能(後述)な地点から観望できる、唯一の正式な端部である。
自由に到達可能な東西南北端日本最北端の地の碑波照間島・高那崎
離島にある場合は、徒歩を含む陸上交通、定期航路または定期航空路線の組合せにより到達可能なこと[注 1]。
その地点またはそこへ至る経路において、民間人の立ち入りが常時制限されないこと。
上記の条件を満たす日本の東西南北端は次の通りである。
最北端
宗谷岬(北海道稚内市 北緯45度31分22秒 東経141度56分12秒 / 北緯45.52278度 東経141.93667度 / 45.52278; 141.93667)
日本の本土の最北端でもある。
最南端
波照間島・高那崎(沖縄県八重山郡竹富町 北緯24度2分59.3秒 東経123度48分18.2秒 / 北緯24.049806度 東経123.805056度 / 24.049806; 123.805056)
無人島を含まない日本の最南端でもある。
最東端
納沙布岬(北海道根室市 北緯43度23分6.2秒 東経145度48分58.6秒 / 北緯43.385056度 東経145.816278度 / 43.385056; 145.816278)
日本の本土の最東端でもある。
最西端
与那国島・西崎(沖縄県八重山郡与那国町 北緯24度26分58秒 東経122度56分1秒 / 北緯24.44944度 東経122.93361度 / 24.44944; 122.93361)
無人島を含まない日本の最西端でもある。長らく最西端とされてきたが、2019年に基本図とされる国土地理院の2万5千分の1地形図が改訂され、与那国島の北北西約260mに位置するトゥイシが最西端の地点となった[2][3]。
日本の本土の東西南北端納沙布岬
日本の法律で「本土」に関する定義を有するのは離島航路整備法のみで、同法では沖縄本島を含めない北海道、本州、四国、九州の4島を本土としている[4]。一方、一般的には北海道、本州、四国、九州に沖縄本島を加えた5島を「本土」とすることが多く[5]、国土交通省のウェブサイトでは「本土」自体は定義していないものの北海道、本州、四国、九州、沖縄本島の5島を除く島嶼を離島としている[6][注 2]。
ここでは、両方の場合の東西南北端を挙げる。
最北端
宗谷岬(北海道稚内市 北緯45度31分22秒 東経141度56分12秒 / 北緯45.52278度 東経141.93667度 / 45.52278; 141.93667)
最南端
沖縄本島を含める場合 - 荒崎(沖縄県糸満市 北緯26度4分30秒 東経127度40分51秒 / 北緯26.07500度 東経127.68083度 / 26.07500; 127.68083)
沖縄本島を含めない場合 - 佐多岬(鹿児島県肝属郡南大隅町 北緯30度59分42秒 東経130度39分42秒 / 北緯30.99500度 東経130.66167度 / 30.99500; 130.66167)
最東端
納沙布岬(北海道根室市 北緯43度23分6.2秒 東経145度48分58.6秒 / 北緯43.385056度 東経145.816278度 / 43.385056; 145.816278)
最西端
沖縄本島を含める場合 - 大嶺崎(沖縄県那覇市 北緯26度11分55秒 東経127度38分11秒 / 北緯26.19861度 東経127.63639度 / 26.19861; 127.63639)
沖縄本島を含めない場合 - 神崎鼻(長崎県佐世保市 北緯33度12分51秒 東経129度33分17秒 / 北緯33.21417度 東経129.55472度 / 33.21417; 129.55472)
かつての東西南北端
大日本帝国の東西南北端阿頼度島鵞鑾鼻神社カピンガマランギ環礁の位置
大日本帝国の国土のうち、領土、租借地、委任統治区域の東西南北端。第二次世界大戦による占領地は含めない。 1946年(昭和21年)のSCAPIN-677によって日本国政府の施政権が停止されてからの東端・南端・西端を記す。
1875年(明治8年)5月7日 樺太・千島交換条約締結まで
最北端
鵞小門岬(がおとさき 北緯54度20分 東経142度42分 / 北緯54.333度 東経142.700度 / 54.333; 142.700)
樺太の最北端。ロシア語名はエリザベス岬。樺太・千島交換条約が結ばれるまで樺太は日露混住の地とされていた。
1875年(明治8年)5月7日 樺太・千島交換条約締結以降
最北端
最北埼(さいほくざき 北緯50度55分30秒 東経155度32分0秒 / 北緯50.92500度 東経155.53333度 / 50.92500; 155.53333) 北海道根室支庁占守郡阿頼度島
1875年(明治8年)5月7日に樺太・千島交換条約が結ばれ、千島列島の最北端が日本の最北端となった。
最東端
小泊崎(こどまりさき 北緯50度50分 東経156度30分 / 北緯50.833度 東経156.500度 / 50.833; 156.500) 北海道根室支庁占守郡占守島
1875年(明治8年)5月7日の樺太・千島交換条約により、日本の領土となった。国端崎が最東端と誤解されることもあるが、小泊崎の方が国端崎よりもわずかに東に位置している。
1895年(明治28年)4月17日 下関条約締結以降
最南端
鵞鑾鼻(がらんぴ 北緯21度54分 東経120度51分 / 北緯21.900度 東経120.850度 / 21.900; 120.850 現:鵝鑾鼻) 高雄州恒春郡恒春街(現:台湾屏東県恒春鎮)
1895年(明治28年)4月17日の下関条約によって台湾が日本に割譲されたため、日本の最南端となった。
最西端
花嶼(中国語版)(かしょ 北緯23度24分 東経119度19分 / 北緯23.400度 東経119.317度 / 23.400; 119.317) 澎湖庁望安庄(現:台湾澎湖県望安郷)
澎湖諸島最西端の島。1895年(明治28年)4月17日の下関条約によって澎湖諸島が日本に割譲されたため、日本の最西端となった。
1919年(大正8年)6月28日 ヴェルサイユ条約締結以降
最南端
カピンガマランギ環礁(北緯1度4分 東経154度47分 / 北緯1.067度 東経154.783度 / 1.067; 154.783) 南洋庁ポナペ支庁(現:ミクロネシア連邦ポンペイ州)
1919年(大正8年)6月28日に調印されたヴェルサイユ条約により、日本は赤道以北のドイツ領ニューギニアを委任統治することとなった。カピンガマランギ環礁は、内南洋群島と名付けられた委任統治領の最南端に位置し、委任統治領を含む日本の最南端であった。また、現在のミクロネシア連邦の最南端でもある。
最東端
ノックス環礁 (北緯5度54分30秒 東経172度9分0秒 / 北緯5.90833度 東経172.15000度 / 5.90833; 172.15000)南洋庁ヤルート支庁(現:マーシャル諸島共和国ミリ環礁地区)
1919年(大正8年)6月28日調印のヴェルサイユ条約により南洋諸島が日本の委任統治領となったため、委任統治領を含む日本の最東端となった。現在のマーシャル諸島共和国の最東端でもある。
1931年(昭和6年)7月6日 内務省告示第百六十三号以降
最南端
沖ノ鳥島(東京都小笠原支庁 北緯20度25分 東経136度4分 / 北緯20.417度 東経136.067度 / 20.417; 136.067)
1931年(昭和6年)7月6日の「内務省告示第百六十三号」により日本に編入され、委任統治領を除く日本の最南端となった。
1938年(昭和13年)12月23日 外甲第116号閣議決定以降
最西端
西鳥島(にしとりしま 北緯8度38分30秒 東経111度55分55秒 / 北緯8.64167度 東経111.93194度 / 8.64167; 111.93194) 高雄州高雄市(現:ベトナム社会主義共和国カインホア省チュオンサ県チュオンサ島)
新南群島(現在の南沙諸島)の一部。1938年(昭和13年)12月23日外甲第116号閣議決定から、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効するまで[要出典]日本が高雄市の一部として領有していた。
第二次世界大戦後の東西南北端
1946年(昭和21年)3月22日 伊豆諸島復帰まで