日本の硬貨
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日本の硬貨(にほんのこうか)では、日本流通している、若しくは過去に流通していた硬貨について解説する。本項目では主に明治以降に発行された硬貨について解説する。
概説

現在、日本製造される硬貨は、通常発行される1、5円、10円、50円、100円、500円の各1種類ずつ6種類の貨幣と、記念貨幣に分けられる。これらは通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律により「貨幣」と規定されるが、本位貨幣ではなく補助貨幣的な性質を持つものである。また同法律が施行されるまで、すなわち1988年(昭和63年)3月末以前発行のものは臨時通貨法に基いて発行された臨時補助貨幣であったが、同4月以降は通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律の附則第8条により「貨幣とみなす臨時補助貨幣」として位置付けられ、引き続き通用力を有している。紙幣とは違い、法貨としての強制通用力は同一額面20枚までと限られているため、一度の決済に同一額面の硬貨を21枚以上提示した場合、相手は受け取りを拒否できる[注 1][注 2]

貨幣の製造及び発行の権能は、日本国政府に属する。財務大臣は、貨幣の製造に関する事務を、独立行政法人造幣局に行わせている。また、貨幣の発行は、財務大臣の定めるところにより、日本銀行に製造済の貨幣を交付することにより行う。日本銀行は貨幣を日銀券に交換し、一般会計内に設置された貨幣回収準備資金に納入、年度末には税外収入として政府の一般会計に繰り入れられる。ここで貨幣の額面と硬貨製造費用との差額は政府の貨幣発行益となる[1]

貨幣ごとの発行益 貨幣種類 発行益
1円 -13円
5円 1円
10円 -32円
50円 30円
100円 27円
500円 457円

日本の硬貨は、日本銀行の取引先金融機関が日本銀行に保有している当座預金を引き出すことによって世の中に送り出され、その金融機関から市中に流通するのは日本銀行券と同様であるが、日本銀行券の場合は当座預金の引き出しによって払い出された時点で発行となるところが日本の硬貨と異なる点である。

市中に流通している硬貨が故意以外の理由で損傷した場合には、日本銀行が鑑定を行い、真貨であると判定されれば交換に応じるが、故意の硬貨の損傷は貨幣損傷等取締法により処罰される。日本銀行に戻った硬貨のうち、現在発行されている貨種で、摩耗・変形・変色等の度合いが少なく再度の流通に適していると判断されたものは再び金融機関を通じて市中に流通する。一方、現在発行されていない貨種や、通貨として市中に流通していた記念硬貨、流通に適さないほど極端に摩耗・変形・変色した硬貨(損貨)は、再使用不可能な流通不便貨という扱いで回収され、一定量がたまると製造元の造幣局に戻され、そこで素材別に鋳潰して、再び貨幣の材料となる。

なお、硬貨の裏表を定める法的根拠はない[2][注 3]1897年(明治30年)までは新貨幣が発行される度に表・裏を明示のうえ一般に公示しており、それ以降は菊紋がある方を表として扱っていた。ところが、戦後GHQにより菊紋の使用が禁じられると表裏の判別基準が失われた。そこで表裏の判別を大蔵省内で協議した際、(1897年以降(明治30年)に発行された貨幣は)それまでの硬貨は年号がすべて裏側(菊紋の反対側)に表示されていたことから、年号が表示されている方が「裏」、その逆側が「表」という扱いをすることになった。このような経緯により、造幣局では、建物や植物などの表示がある面を「表」、製造年表示のある面を「裏」と呼んでおり、この用法は一般にも浸透している。これによれば、現在有効な通常貨幣に限れば、結果的に「表」には全種類に「一円」「五円」「五百円」などの漢数字による額面が表記されていることになるが、記念貨幣も含めればそうとは限らない。この通説によれば政令「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律施行令」の別表に硬貨の形式が図案入りで表示されているが、その記載の順序に従って最初に示されるのが表、次に示されるのが裏としている[2]

財務省や造幣局はそれぞれの硬貨を「十円貨幣」「五百円貨幣」等と称している。一般的な通称として「十円硬貨」「五百円硬貨」等、あるいは「十円玉」「五百円玉」等とも呼ばれる。

記念硬貨を除く現在有効な日本の硬貨の製造量については造幣局 (日本)#硬貨製造量を参照のこと。
歴史旧二円金貨(1870年製造)「日本の金貨」、「日本の銀貨」、「日本の補助貨幣」、および「臨時補助貨幣」も参照
金銀複本位制による本位金貨・本位銀貨と補助銅貨の発行

新貨条例が施行された明治以降の近代社会において、それまでの小判分金穴銭などといった手工芸的な硬貨に代えて、本格的な洋式硬貨を1871年(明治4年)(硬貨上の年号は明治3年銘もある)から発行した。

本位金貨として、1円、2円、5円、10円、20円(いずれも金90%の金合金)

本位銀貨(1878年(明治11年)以降)および貿易用銀貨として、1円貿易銀(いずれも銀90%の銀合金)

補助銀貨として、5銭、10銭、20銭、50銭(いずれも銀80%の銀合金。5銭については後に白銅貨に移行)

補助銅貨として、1厘、半銭(5厘)、1銭、2銭(いずれも銅98%の銅合金)

が発行され、事実上の金銀複本位制(のちに事実上の銀本位制)として流通した。

このとき江戸時代に鋳造された銭貨は、天保通宝8厘、寛永通宝真鍮四文銭2厘、文久永宝1厘5毛、寛永通宝銅一文銭1厘、寛永通宝鉄四文銭1/8厘、寛永通宝鉄一文銭1/16厘として通用が認められたが、天保通宝・寛永通宝鉄銭については明治時代のうちに通用停止となった。
金本位制による本位金貨と補助貨幣の発行

以降、度々法改正があり、以下に挙げた通りその度に様々な材質・規格でこれらの額面の多様な硬貨が製造された。

1897年(明治30年)には貨幣法施行により、金本位制による貨幣制度が整えられた。これに伴い、金平価が半減されたため、新貨条例による金貨は額面表示の新貨条例で発行された旧金貨は全て額面の2倍の通用力を有することとなった。また、一円銀貨は1898年(明治31年)4月1日限りで失効となった。

貨幣法を根拠として、

本位金貨として、5円、10円、20円(いずれも金90%の金合金)

補助銀貨として、10銭、20銭、50銭(銀合金、当初銀80%、後の旭日10銭・八咫烏10銭(流通せず)・鳳凰50銭は銀72%)

銀貨以外の補助貨幣として、

白銅貨:5銭、10銭

青銅貨:5厘、1銭

ニッケル貨:5銭、10銭

が発行されていた。
第二次世界大戦中から終戦直後にかけての臨時補助貨幣の発行

第二次世界大戦開戦後には、これらの貨幣用材料は軍需用資材として転用させられたため、1938年(昭和13年)には臨時通貨法が施行され、アルミニウム青銅、黄銅、アルミニウムなどを材料とした硬貨に置き換えられた。そのとき50銭については硬貨にするのに適切な金属がなかったため小額政府紙幣として発行された。戦況の悪化に伴い寸法や量目(重量)についても度重なる縮小・削減が行われ、果ては貨幣用として適当な素材とは言い難い亜鉛の合金を材料とした硬貨も発行された。1945年(昭和20年)3月には航空機の金属材料を捻出するために、10銭、5銭、1銭のアルミニウム硬貨も回収して紙幣と交換された[3]。終戦時に造幣局で製造されていたのは一銭硬貨のみで、実際の発行には至らなかったものの非金属製の陶貨の製造が行われる状況となっていた。

臨時通貨法を根拠に、第二次世界大戦中には臨時補助貨幣として

アルミニウム青銅貨:5銭、10銭

黄銅貨:1銭

アルミニウム貨:1銭、5銭、10銭

錫貨:1銭、5銭、10銭

終戦直後には同じく臨時補助貨幣として

アルミニウム貨:10銭

錫貨:5銭

黄銅貨:1円、50銭

がそれぞれ発行された。
銭・厘単位の通貨廃止とそれ以降

戦後、小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律により、単位の法定通貨1953年(昭和28年)末に廃止され、このとき1円以下の補助貨幣が失効した。


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