日本の熱い日々_謀殺・下山事件
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日本の熱い日々 謀殺・下山事件
監督
熊井啓
脚本菊島隆三
製作佐藤正之
阿部野人
出演者仲代達矢
山本圭
浅茅陽子
中谷一郎
井川比佐志
隆大介
大滝秀治
平幹二朗
音楽佐藤勝
撮影中尾駿一郎
配給松竹
公開1981年11月7日
上映時間115分
製作国 日本
言語日本語
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『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』(にほんのあついひび ぼうさつ・しもやまじけん)は、1981年に公開された日本映画。製作は俳優座映画放送、配給は松竹。モノクロ作品。

昭和56年度文化庁芸術祭参加作品。第5回日本アカデミー賞において、優秀作品賞、優秀監督賞(熊井啓)、優秀脚本賞(菊島隆三)、優秀音楽賞(佐藤勝)、優秀撮影賞(中尾駿一郎)、優秀照明賞(岡本健一)、優秀美術賞(木村威夫)、優秀録音賞(紅谷愃一)を受賞。
概要

1949年7月に、第二次大戦後の連合国による占領統治下の日本で起こった「戦後最大のミステリ」ともいわれる「下山事件」(下山定則国鉄総裁の変死事件)とその捜査・解明に当たった人々を描いたミステリ映画。捜査時に活躍した朝日新聞矢田喜美雄記者の著書『謀殺・下山事件』(1973年)を原作に、菊島隆三が脚色化。『帝銀事件 死刑囚』や『日本列島』などの作品で「社会派」として知られていた熊井啓が、大作『天平の甍』の直後に監督した。

劇団俳優座の映画部門会社が製作したため、出演者の大半は俳優座の所属俳優である。主人公の矢田記者役は、矢代と名を変えて仲代達矢が演じた。このほか脚色のため、事件関係者や旅館などの名前をいくつか変えてある。事件の鍵を握る男を演じた隆大介の演技も注目を浴びた。『日本列島』で謎の謀略家・涸沢(からさわ)を演じた大滝秀治が、本作でも謀略家・唐沢を演じている。当時まだ若手だった役所広司も無名の記者役で出演している。なお、下山定則総裁当人は記録映像部分に登場するが、劇中の役は数カット出ているだけで、俳優名はとくにクレジットされていない。

本作が公開された1981年当時は、すでに大半の映画作品はカラーとなっていたが、本作は事件当時のモノクロ・ニュース映像を交えながらモノクロ作品として製作され、当時の雰囲気を醸し出すことに成功している。
キャスト

キャスト俳優役名役柄
仲代達矢矢代昭和日報の記者。
朝日新聞の矢田喜美雄記者がモデル。
山本圭大島警視庁捜査二課の刑事。矢代とともに、捜査に当たる。
浅茅陽子川田昭和日報の記者で、矢代の後輩。
中谷一郎遠山部長昭和日報の部長で、矢代の上司。
橋本功小野昭和日報の記者で、矢代の後輩。
役所広司-無名の記者。矢代の同僚。
岩崎加根子下山芳子下山総裁の未亡人。
江幡高志酒井運転手下山総裁を公用車で三越まで送った運転手。
平幹二朗奥野警視総監警視庁のトップ。捜査の幕を引こうとする。
稲葉義男堀井捜査課長警視庁捜査一課長。
新田昌玄吉川捜査課長警視庁捜査二課長。
神山繁伊庭次席検事東京地検側の捜査を指揮する。
滝田裕介川瀬検事東京地検の検事。
梅野泰靖山岡検事東京地検の検事。
松本克平波多野教授下山死後轢断の判断を下した東大教授。
近藤洋介秋田教授東大の衛生裁判化学教室の教授。
仲谷昇内閣官房長官下山事件発生直後に、他殺との見解を示す。
菅井きん女将ふさ末吉旅館の女将。
事件前日に下山が滞在したと証言する。
浜田寅彦館野教授下山生体轢断の判断を下した慶應大教授。
小沢栄太郎糸賀事件後に下山邸を訪れた謎の自称・政治家。
井川比佐志李中漢事件の秘密を知る韓国人。
大滝秀治唐沢占領軍の工作に関与している謎の人物。
伊藤孝雄堀内矢代へ手紙を送り、その中で
下山誘拐に関与したと告白する青年。
隆大介丸山事件の秘密を握る労務者。
草薙幸二郎嗄声の男事件に関与したと思われる謎の人物。
岩下浩川崎
信欣三国原鋼材主任堀内という男が務めていたという会社の担当者。
織本順吉駅助役

あらすじ
冷戦下のドッジ・ライン反対闘争

昭和24年(1949年)、日本の降伏から4年が経ったが、アメリカソ連の「冷たい戦争」が表面化する中で、アメリカは日本をアジアにおける「反共の砦」とする必要に迫られていた。こうして、いまだ連合国(事実上は米軍)による占領下の日本では、GHQと日本政府主導によるドッジ・ライン政策と呼ばれる経済合理化政策が推し進められていた。大企業は次々に大量首切りを発表、労働組合側は反対闘争に立ち上がり、その中心となる最大勢力が60万人を擁する国鉄労働組合(国労)であった。

6月1日に国鉄が発足したが、7月1日に国鉄初代総裁・下山定則は職員10万人の解雇を発表した。これに対して国労は大規模なストライキで闘う構えを示した。国労は、共産党とともにドッジ・ライン反対闘争を展開したのだ。国労10万人首切りの成り行きいかんは、ドッジ・ラインの成功・不成功が懸かっていた。7月4日、下山は国労に対して、第一次整理の3万700人の解雇を通告した。
下山事件の発生

国鉄の大規模ストライキを前に世間が騒然としている7月5日、昭和日報の社会部記者・矢代(仲代達矢)は、上野に集結するシベリヤからの復員兵たちの集会を取材していたが、その時、下山国鉄総裁が行方不明になっていることを知らされた。運転手の証言によれば、下山は、朝に会議のために公用車で自宅を出た後、日本橋三越に立ち寄り、そこで消息を絶っている。

7月6日午前0時25分頃、東京都足立区にある常磐線北千住駅?綾瀬駅間)が東武伊勢崎線と交差するガード下で、下山の轢断された死体が発見された。内閣官房長官(仲谷昇)は、即日、下山が他殺されたのではないかとの声明を出した。「下山事件特別捜査本部」が設置された。このうち警視庁捜査一課では自殺説、捜査二課および東京地検特捜部では他殺説に傾いていくことになる。
自殺か他殺か

東大法医学教室での遺体解剖では、他殺の根拠となる「死後轢断」の判断が出された。矢代記者が取材すると、出血などの「生活反応」がまったく見られないので死後轢断にまちがいない、とのことであった。一方、5日の現場付近で下山総裁らしい人物を目撃したとの情報が数多く寄せられた。東武線の五反野駅で下山らしい人物が下車したと駅員が証言した。矢代と同僚(役所広司)は、下山らしい人物が滞在したという末吉旅館で女将(菅井きん)に取材したが、女将の証言には疑問点や他の証言者との食い違いが見られた。「3時間もいたなら煙草好きの総裁なら吸い殻がいっぱいのはずだ」というが、覚えていないという。矢代は社会部で議論し、目撃されたのが下山の替え玉だとしたら、この事件は労働組合や共産党など左翼のせいにする右翼の「稀に見る計画知能犯罪」かも知れない、と推測する。だが、川田記者(浅茅陽子)の取材によれば、慶應大の館野教授(浜田寅彦)は、出血がないのは「生体轢断」によく見られるとして、自殺説を主張していた。
三鷹事件、国労の敗北


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