日本の民家
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この項目では、建築史民俗学について説明しています。概論については「日本の文化#住」、「日本の住宅」をご覧ください。
民家の例(箱木家住宅・農家)現在は移築保存される

民家(みんか)とは、一般の庶民が暮らす住まいのこと。支配階級、上層階級の住まい(王宮など)に対比して用いられる言葉。民屋(みんおく)ともいう。

日本建築史や民俗学では、主に江戸時代農家町家の類を民家という。明治時代以降に建立された住宅で、伝統的様式・技法を用いたものもこれに含まれる。また、中・下層の武士の住まいも農家と同様の技法が用いられているものは民家に含める。(本項で詳しく述べる)

現代日本語では、団地マンションなどの集合住宅に対して、一戸建ての比較的小規模な住宅を指して「民家」と呼ぶことがある。特に報道文などで「土砂崩れで民家が押し流され」などと使う。

本項では日本の民家について詳述する。
概要

民家とは、一般の庶民が暮らす住まいのことだが、特に建築史民俗学では、伝統的な様式で造られた農家や漁家、町家の類、それに中級から下級武士の侍屋敷を含む(年代の古いものは古民家とも)。

日本の伝統的家屋は、高温多湿な気候に対しての快適性と建物自体の耐久性の観点から、基本的にを基準とした構法原理に基づいて構築されている[1]。対して、冬の寒さに対しては脆弱な面があり、海外の文化人類学研究では、日本家屋は気候風土に適応できていない例として挙げられる場合がある[1]

民家には建設された当時の生活状況が反映されており、生業(農業、商業など)や伝統行事と結び付いた要素が多く見られる。また、民家には地域差があり、それぞれの地方ごとの特色が表れる。近年では、対象となる年代も広がり、明治・大正・昭和戦前期の建物まで、調査研究が行われることがある。

民家は生活に密着したものであり、今日まで残された民家は時々の必要に応じた増改築が行われているのが普通である。特に文化財的価値があって保存措置が講じられる場合は、当初の状態に復元するのが一般的である。(これに対して、生きた民家は変化するものであり、そうした変化自体が一つの歴史を物語るものだ、という意見もある)
発達古井家住宅

庶民の住宅であることを定義とする場合は、竪穴建物もそれに含まれる。竪穴建物は、室町時代まで利用されたが掘立柱建築が鎌倉時代以降に普及し、中世以降の民家の建築構造として一般化した。これ以降は、日本の民家の構造は、主に上屋(じょうや)と下屋(げや)の空間構成からなる。その形状が窺える日本で最も古いとされる現存建築では箱木家[注 1]古井家[注 2]があるが、いずれも礎石の上に柱が建てられた礎石建物で、農家の中では上層の身分にある人物の家屋である[3]

ごく古い民家では、柱をかんなで仕上げず、ちょうなで削ったままのものも見られる。また、古いものほど概して軒高が低く、が多い。床の間障子戸などに細かな細工を施すのは比較的新しい時代の現象で、古い民家は座敷飾りなどがないものが多い。
類型

建物が使用される立地と用途によって以下のように分けられる。
農家

屋内に土間があり、田の字型の間取りとしたものが典型的なものである。土間には煮炊きをするかまどがあり、馬屋もよく見られる。いろりの周りで家長を中心に食事を取る。時代が下がると接客用の部屋も造られ、冠婚葬祭で人が多く集まる際は、戸やふすまを開け放して部屋を広く使えるように工夫された。土間で縄をなったり、縁側で機織をしたり、屋根裏でを飼うなど、住居と生業の結びつきが強い。茅葺や杉皮、など屋根材も地域によって特徴が見られる。
町家

間口が狭く、奥行きがあり、裏まで通り抜けの通路が設けられることが多い。間口が狭いのは、間口の大きさに応じて税金をかけていた名残だといい、道路に面して短冊形に敷地を取る形状の町家が各地に見られる。道路に面した表側は店であることが多く、裏の方に住まいやなどを設けた。京都などの町家に見られる坪庭は、通風・採光の役割を果している。(詳細は町屋 (商家)京町屋を参照のこと。)
民家形式一覧
東日本


草を植えた棟
青森県

曲り家岩手県

中門造秋田県

中門造新潟県

本棟造長野県

つきあげ屋根(山梨県

赤城型群馬県

入母屋埼玉県

寄棟東京都

別当造(千葉県

兜造(静岡県

西日本


合掌造岐阜県

湖北型(滋賀県

大和棟奈良県

四方ぶた造(香川県

そり棟(島根県

箱棟(山口県

くど造佐賀県

鍵屋型(佐賀県 熊本県 大分県西部)

二棟造(鹿児島県

その他


チセ北海道アイヌ)

別当型(沖縄県

文化財大正初期の今西家住宅西側(牢屋及び三階蔵残存)

一般に近畿地方が経済的先進地域であり、民家にも技術的、意匠的に優れたものが多く、江戸時代初期の民家は近畿地方を中心に多数残っている。中でも、第二次世界大戦以前に民家として初めて国宝(国宝保存法)に指定された吉村家住宅[注 3]小川家住宅[注 4]の2件がある[注 5]。1950年の文化財保護法施行後はいずれも重要文化財に指定された。また、高度成長期の1960年代から民家の重要文化財指定が積極的に推進されるようになり、1955年(昭和30年)から東京大学工学部建築学科による町屋調査を経て、奈良県橿原市今井町今西家住宅[注 6]1957年(昭和32年)6月18日に棟札とともに国の重要文化財に指定され、文化財保護法により根本修理に着手することとなり、奈良県教育委員会が今西家から委託を受けて1961年(昭和36年)3月に起工し、1962年(昭和37年)10月に竣工した。同建物は「日本民家の一里塚」と言われるほどの貴重な建物で、破損と傾斜が著しく倒壊を町屋調査によって救えた好例であるといえる。

関東では韮山代官江川太郎左衛門の屋敷であった江川家住宅[注 7]がある。
民俗資料としての移築と保存

前述した日本最古の現存する民家の一つである箱木家住宅は、1970年代のダム建設により旧立地が水没することによって移築された文化財である。それらとは別に旧民家を一つの敷地内に移築復元した野外博物館が各地に作られた。

第二次世界大戦後、特に高度成長期以降は、日本人の生活様式も大きく変化した。伝統的な生活文化を後世に残すため、古い民家を保存・公開することで歴史を学ぶ史料としている。単に建物を公開するだけでなく、当時の民具の展示のほかにいろりに火をくべたり、伝統行事を再現するなどより当時の生活感を再現した施設もある。
保存された民家のある施設、区域

重要伝統的建造物群保存地区および伝統的建造物群保存地区も参照


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