日本の歴史地震の西暦換算
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本記事では1582年以前における日本の歴史地震の西暦換算(にほんのれきしじしんのせいれきかんざん)の実情について解説する。
背景

日本歴史地震は、当時を記した記録の日付は太陰太陽暦に分類される日本歴旧暦)で記されている。地震地球規模の現象であるため、日本で発生した地震の日付も西暦への換算の必要が生じる。あるいは例えば日本国外で発生した巨大地震津波が日本に到達した場合、日本の記録ではその日付は和暦で表記されているから、その「みなしご津波」の親がどの地震であるかを同定するうえで、その西暦換算は大変重要な意味を持つ[1][2][3]

Wikipediaの表記ガイドでは、西暦は原則として1582年10月15日以降はグレゴリオ暦、それ以前はユリウス暦を使用するとあり、歴史地震研究会でも1582年以前はユリウス暦表記を推奨している[4]。当時の西洋社会の歴史の上で実際に使われた暦に換算するのが望ましいとする提言を踏まえて、このような措置が採られている[5]

一方で、日本の地震を記した、『理科年表』の「日本付近のおもな被害地震年代表」[6]、『日本被害地震総覧』[7]、『地震の事典』[8]などの年表、および『新収日本地震史料』[9][10][11]、『日本の歴史地震史料』[12][13][14][15][16]などの史料集では何れも1582年以前もグレゴリオ暦表記となっている。さらに、これらの基となっている『大日本地震史料』増訂第1巻の「例言」には「1582年まではユリウス暦、1583年以降はグレゴリオ暦を以て表されて居る。」と書かれている[17]にもかかわらず、実際には1582年以前もすべてグレゴリオ暦換算で表記されており、この例言は内容を正しく表していない[5][18]。「先発グレゴリオ暦」も参照

また、『理科年表』の「世界のおもな大地震・被害地震年代表」[19]や『地震の事典』の「外国の主な地震の表」[8]では1582年以前はユリウス暦となっており、同一書籍内で首尾一貫していない[5]

現代ではグレゴリオ暦はほぼ世界共通の暦であるが、1582年以前はユリウス暦は欧州など一地方で使用されていたのみであり世界共通であったとは言えず、また、例えば春分の日(春分日)がほぼ3月20 - 21日頃となるなど、合理主義者である大森房吉らが採用した太陽にリファーされたグレゴリオ暦の方が便利ではないかとの意見もある[20]
Webサイト上の地震年表

古代中世地震史料研究会が公開している[古代・中世]地震・噴火史料データベース(β版)のように、これらの事情を勘案して、ユリウス暦とグレゴリオ暦が併記できるような検索を可能としたWebページもある[21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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