日本の普通切手(にほんのふつうきって)では、日本で発行された普通切手について記述する。 郵便料金の納付を主目的とする切手であり、郵便局、郵便切手類販売所では多数の額面の普通切手を在庫している。日本最初の切手である竜切手も普通切手であった。 国家元首の肖像を意匠とすることの多い世界的傾向とは異なり、天皇の肖像を意匠としたことはないが、天皇の身代わりとして明治から昭和にかけての高額普通切手の意匠に神功皇后の肖像が採用されたことはある。これには明治天皇の意向が反映されているといわれている。明治初期に紙幣と切手製造の基礎を構築した、イタリア人技術者エドアルド・キヨッソーネは、日本も紙幣や切手に国家元首の肖像(御真影。これ自体、彼の手になる肖像画を、写真撮影したものである。)を使うのが妥当であるとしていた。しかし、明治天皇が生来の写真嫌いで拒否されたという。天皇が神格化されたこともあって、天皇を切手の意匠とするのはタブーとされるようになった。以降、日本では記念・特殊切手も含めて在位中の天皇が切手の意匠になったことはない[注釈 1]。 明治から昭和初期にかけては証票的な意匠となっていたが、それ以降は徐々に具体的なモチーフを意匠とすることが多くなった。第二次世界大戦中には逓信省も戦意昂揚の一翼を担い、大東亜共栄圏の地図や戦闘機、少年航空兵、靖国神社など国家主義的、軍国主義的な意匠となった。戦後は一転して産業、風景、動植物、文化財を意匠とするようになった。このような事情を踏まえた切手収集家による分類方法が確立している(後述)。なお、「昭和」「平成」といった元号名が含まれるシリーズ名があるが、改元は普通切手のシリーズ変更と直接の関係はないため、普通切手シリーズの発売期間は必ずしも時代ごとの区分と一致しない。 現在、郵便事業を担う日本郵便の発行する普通切手のテーマは「日本の自然」であり、日本国内に生息する鳥類や花や昆虫を意匠としている。日本郵趣協会が手掛ける日本切手カタログ(さくら日本切手カタログ・日本切手専門カタログ・ビジュアル日本切手カタログ)には「平成切手」というシリーズ名称で収録されており[注釈 2][注釈 3]、切手収集家の間でも使用されている。 下記以外の切手は、たとえ銭位・厘位であっても無効を定めた法令がないため、現在でも使用可能である[1][2][3][4]。したがって現在有効な最古の切手は1876年(明治9年)発行の5厘切手(旧小判切手)である。なお銭は円の百分の一、厘は銭の十分の一である[5]。
概要
日本の切手の有効性
手彫切手(竜文切手、竜銭切手、桜切手及び鳥切手)と旧小判切手(5厘を除く)は法令[6]により1889年12月1日以降使用禁止となった。
「第一回国勢調査紀念切手」(1920年9月25日発売)は発売開始当初から有効期限(1921年3月31日迄)が定められていた[7]。
第二次世界大戦後、GHQから軍国主義的あるいは神道等の象徴に関係があるとみなされた切手や葉書(いわゆる追放切手
日本の普通切手の一覧
明治時代新小判10銭切手菊1銭切手
竜文切手 1871年
日本最初の切手、通貨制度が江戸時代と同じだったため額面が「文」表示。目打が無く、裏面に糊もついていなかった。
竜銭切手 1872年
通貨制度近代化により額面が「銭」表示となる。初めて目打が入れられたのもこの切手からである。
桜切手 1872年 - 1876年
四隅に桜花をあしらっていたことに由来する名称。途中から在庫管理のため、印面にカナが加えられた。また、民間の印刷会社である松田印刷
鳥切手 1875年
外国郵便開業に伴い、外国郵便料金に合わせて発行。
なお、竜文切手と竜銭切手、桜切手に鳥切手を併せ、手彫切手(印刷に用いる実用版を、手作業による彫刻や腐食により製造したため)と呼ばれる場合もある。
小判切手 1876年 - 1892年
キヨッソーネが指導した電胎法凸版印刷