日本の慰安婦(にほんのいあんふ)は、日本軍の軍用売春宿(慰安所)において性的労働に従事した女性のこと。大日本帝国から、日本人や朝鮮人、台湾人[注釈 1]が慰安婦として海外の戦地に赴いた。中国大陸や東南アジアなどの戦地では、現地採用された慰安婦も存在した[3]。慰安婦の総数や民族構成については、諸説ある。
慰安所は、「強姦等の兵士による不法行為の防止」「性病等の防止」「防諜の必要性」などの理由により、軍の要請で設置され、主に民間人によって経営された[4]。
1990年代に入り、日本政府は、国の道義的責任を認め[5]、謝罪し、半官半民の基金(アジア女性基金)を立ち上げた。アジア女性基金は、元慰安婦に「償い金[6]」を届けると共に様々な支援事業を行い、2007年に解散した[7]。
慰安婦問題は、大韓民国との間で現在に至るまで外交問題化している[8]。
近代型軍隊と公娼制詳細は「近代公娼制」を参照
軍人に対し売春を行っていた婦女は日本に限らず、韓国、アメリカ、ドイツ、フランスなど多くの国で存在していた[9]。
日本以外の国の軍隊の慰安婦については、「慰安婦」を参照。
国家による管理売春は公娼制度といい、慰安婦・慰安所も公娼制の一種と考えられている[10][11][12]。
近代公娼制は、性病対策と軍隊慰安を目的としてフランスで確立し、その後ヨーロッパ各国、アメリカ合衆国や日本にも導入された[11]。
近代日本の公娼制詳細は「近代公娼制#日本」を参照
1901年に軍医の菊池蘇太郎は「軍隊ニオケル花柳病予防法」を発表し、公娼制度の目的は性病(花柳病)予防と風俗頽壊防止を目的としていたと記している[13]。
日本統治下の朝鮮の公娼制詳細は「近代公娼制#朝鮮(日本)」を参照
日本軍慰安婦の総数詳細は「日本の慰安婦問題#慰安婦の総数」を参照
アジア女性基金によれば、慰安婦の総数が分かる総括的な資料は存在せず、慰安婦の総数についてのさまざまな意見はすべて研究者の推算である[14]。推定値は、2万?40万人と幅広いが韓国や国連では20万人説が多い。ただし日本ではこの20万人説について根拠がないとの反論がある(千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説を参照)。
進駐軍慰安婦の総数詳細は「特殊慰安施設協会」を参照
日本の敗戦後、アメリカ軍を中心とした進駐軍の相手をする為に集められた慰安婦の人数については、「#連合国(進駐軍・ソ連軍)と慰安婦」「特殊慰安施設協会」を参照のこと。 アジア女性基金によれば、慰安婦の民族別の割合を確定する統計資料も、存在しない[14]。 当時の資料では、1940年5月7日の閣議決定に基づく「外事警察執行要覧」では、「特殊婦女」(慰安婦)は軍属ではなく、民間人として扱うことと定められている[15]。 日本軍は、業者が慰安婦らを船舶等で現地に送るに際には、彼女らを特別に軍属に準じた取扱いにし、渡航申請に許可を与え、日本政府が身分証明書等の発給を行ったりした。軍の船舶や車両によって戦地に運ばれたケースも少なからずあり、現地に置き去りにされた事例もあったという[16]:1,14。
日本軍慰安婦の民族別割合
慰安婦の身分