日本のいちばん長い日
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日本のいちばん長い日
運命の八月十五日
著者
大宅壮一(編) / 半藤一利
発行日1965年昭和40年)
発行元文藝春秋新社
ジャンルノンフィクション
日本
言語日本語
公式サイト文春文庫『日本のいちばん長い日 決定版』
コードISBN 978-4-16-748315-9文庫判

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『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(にほんのいちばんながいひ うんめいのはちがつじゅうごにち)は、半藤一利による日本ノンフィクション書籍。1965年昭和40年)の初版刊行時は文藝春秋新社から大宅壮一編のクレジットで発売され、1995年平成7年)6月に文藝春秋から半藤名義で『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』として再版された。

昭和天皇鈴木貫太郎内閣の閣僚たちが御前会議において日本の降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日正午から宮城事件、そして国民に対してラジオ日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いている。

これまで製作公開された劇場用映画が、岡本喜八監督による1967年版(製作・配給東宝)と原田眞人監督による2015年版(製作・配給松竹)の2つがある。
刊行の背景

著者の半藤一利は、1965年(昭和40年)当時は文藝春秋新社の社員であり、営業上の理由から「大宅壮一 編」として出版された。序文のみを大宅が書いている。半藤によると、大宅は本文を一行も読んでおらず、序文も半藤の口述筆記によるものだという[1]角川文庫からも再刊され、講談社インターナショナルから英訳版も出版された。タイトルはノルマンディー上陸作戦を描いた映画『史上最大の作戦』の原題The Longest Day から採用されている。

発行部数は単行本が約20万部、角川文庫版が約25万部[2]。半藤は「映画化された際に映画化権(原作使用料)を受け取る」という条件で本作の印税を受け取っておらず、大宅にも5万円が支払われただけだという[2]

半藤が宮城事件立案者側の事情を知る上で大きな役割を果たしたのが、首謀者の一人で阿南惟幾の自決にも立ち会った竹下正彦が執筆した1945年8月9日から15日までの『大本営機密日誌』である[3]。半藤は竹下からこの手記の閲覧を許され、それをベースに事件を起こした青年将校の動きを執筆した[3][注釈 1]。竹下は1967年版映画のパンフレットに寄稿した「阿南陸相と三船」という文章の中で、過去の終戦秘話を描いた映画における青年将校の描写に不満を抱いていたことを記している[3]

半藤を著者とする「決定版」と付した改訂版は、戦後50年にあたる1995年(平成7年)6月に文藝春秋から刊行された[5]
書誌情報

大宅壮一 編『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(
文藝春秋新社、1965年)[6]

(英訳版)『Japan's longest day. Compiled by the Pacific War Research Society 』(講談社インターナショナル、1968年[7] 新装版2007年 ISBN 4770028873[注釈 2]

(文庫版)『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(角川文庫、1973年5月) ISBN 4041350018


半藤一利『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』(文藝春秋、1995年6月) ISBN 4163503609

(文庫版)『日本のいちばん長い日 決定版』(文春文庫、2006年7月) ISBN 9784167483159


1967年版の映画

日本のいちばん長い日

監督岡本喜八
脚本橋本忍
原作大宅壮一
『日本のいちばん長い日』
製作藤本真澄
田中友幸
出演者山村聡
志村喬
笠智衆
音楽佐藤勝
撮影村井博
編集黒岩義民
製作会社東宝
配給東宝
公開 1967年8月3日
上映時間157分
製作国 日本
言語日本語
配給収入4億4195万円[8]
次作連合艦隊司令長官 山本五十六
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1967年(昭和42年)に公開された日本映画。製作・配給は東宝白黒シネマスコープ

東宝創立35周年記念作品のひとつとして映画化された。東宝内部では、ヒットさせることよりも製作する意義を重視する声が多かったという[9]。本作をきっかけとして「東宝8.15シリーズ」として1972年(昭和47年)の『海軍特別年少兵』まで6本の映画が製作された。

「日本のいちばん長い日」(1967年)

連合艦隊司令長官 山本五十六」(1968年)

日本海大海戦」(1969年)

激動の昭和史 軍閥」(1970年)

激動の昭和史 沖縄決戦」(1971年)

「海軍特別年少兵」(1972年)

監督には小林正樹が内定していたが、彼はプロデューサーの藤本真澄と折り合いが悪く、脚本の橋本忍の推薦もあり、『肉弾』の脚本に取り組んでいた岡本が監督に起用された[9][10]


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