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日本におけるゲーム機戦争(にほんにおけるゲームきせんそう、コンシューマー機戦争、コンソール・ウォーズ[1])とは、日本国内における家庭用ゲーム機の販売競争のことである。「ゲーム機戦争」という言葉は、ゲーム雑誌等の専門誌やメディアによって、販売競争を端的に表現した言葉として用いられる事が多いものである。 アメリカでのアタリVCSの成功を受け、日本でも東芝が1978年にロムカセット式家庭用ゲーム機「ビジコン」を発売。これは本体にCPUを搭載したタイプ(マイコン方式)としては国産初とされるが、日本国外のテレビゲーム機がベースとなっていた。VCSはアメリカと同じ1977年に日本で東洋物産など数社から約9万円程度で輸入販売されたが[2]、高価な品であり、当時はまだキラータイトルも無かった[3]。VCSは1979年にもエポック社から「カセットTVゲーム」として輸入販売されており、この時はエポック社の要請でインベーダーゲームが手配され、事実上キラータイトルの役割を担った。しかし本体価格は5万円前後まで値下げされたものの、いずれも価格が高価であるため、ほとんど話題にならず、売れ行きは低迷した。1977年にハードウエアを初めて日本国内メーカーが生産したビデオカセッティ・ロック(タカトク)や同じく1978年のTV JACK アドオン5000(バンダイ)が2万円を切る価格で登場しているが、肝心のゲームソフトはまだ輸入LSIだった[4]。 1981年に発売されたエポック社のカセットビジョンが日本独自にハードとソフトが展開された例としては初であり、累計40万台以上(資料によっては45万台[5])を売り上げ、「ファミリーコンピュータ」が発売するまで家庭用ゲーム機の中でトップの販売台数だった。カセットビジョンの成功は日本でのソフト交換式の家庭用テレビゲームという文化の開拓に繋がり、他社もこれに続く形となった[注 1]。 1982年にはバンダイがインテレビジョンを輸入販売したほか、ゲーム機というよりはパソコン(ゲームパソコン)のカテゴリではあるが関連機種としてトミーからぴゅう太が登場している。これらは5万円前後の高級機でありカセットビジョンの牙城を崩すことはできなかったが、3社とも翌年にこれらの後継機や廉価版に位置付けられるゲーム専用機を投入しており、1983年のゲーム機ラッシュに繋がった。
据え置き型ゲーム機「ゲーム機」および「ゲーム機一覧」も参照
1980年前後
アタリVCS
(Atari 2600)
ビデオカセッティ・ロック
TV JACKシリーズ
カセットビジョン
インテレビジョン
ぴゅう太