日本と香港の関係
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日本と香港の関係



香港
日本

日本と香港の関係(にほんとほんこんのかんけい、英語: Japan?Hong Kong relations、中国語: 日本與香港關係) では、日本香港の関係について概説する。日本と香港特別行政区の関係とも。現状、香港は独立国ではなく中華人民共和国の領土であるが、一国二制度に基づいて一定の自治機能を有している。
両国の比較

中国(香港) 日本両国の差
人口749万7千人(2020年・推計人口[1]1億2,614万6千人(2020年)[2]日本香港の約16.9倍
国土面積1,110.2 km2[3][4]37万7,975 km2[5]日本香港の約340.5倍
(香港は東京都の約半分[4]
人口密度6,790人/km2(2020年)[1]333.7人/km2香港日本の約20.3倍
首都?[注釈 1]東京都事実上[注釈 2]
最大都市?[注釈 3]東京都区部
元首行政長官天皇(事実上)[注釈 4]
政体中華人民共和国香港特別行政区[4]
一国二制度。なお、2020年に香港国家安全維持法を施行。)(民主制議院内閣制
公用語広東語英語日本語事実上
通貨香港ドル日本円
国教なしなし
人間開発指数0.933[6]0.919[6]
民主主義指数6.02[7]7.99[7]
GDP(名目)3,494億 米ドル(2020年)[8]5兆487億米ドル(2020年)[8]日本香港の約14.5倍
一人当たりGDP46,753 米ドル (2020年)[8]40,146米ドル(2020年・推計値)[8]香港日本の約1.2倍
GDP(購買力平価)[注釈 5]4431億7775万米ドル(2020年)[9]5兆3342億3673万米ドル(2020年)[10]日本香港の約12.0倍
一人当たり実質GDP[注釈 5]59234.1米ドル(2020年)[11]42390.4米ドル(2020年)[12]香港日本の約1.4倍
実質GDP成長率-6.14%(2020年)[8]-4.83%(2020年)[8]
軍事費-(2019年)[13][注釈 6]491億米ドル(2020年)[14]

歴史
交流の始まり

日本香港の交流の歴史は、日本人移民によって始まる。江戸時代末期、外的な圧力から江戸幕府による鎖国政策が緩められると、移民として香港(当時イギリス領香港)へ渡る日本人が現れ始め、日本と香港や、もう一つの主要な目的地であった上海の間には定期的な船便が就航されるようになった。渡航したのは主に商人や、中国東南アジアに渡った「からゆきさん」と呼ばれる娼婦である[15]

1873年には、明治維新を経て日本の岩倉使節団が香港を公式訪問した[16]。またほぼ同時に、からゆきさんなど移民が多かった事を背景に在香港大日本帝国総領事館も開設されている[17]
第二次世界大戦

20世紀になるとイギリスの統治のもと香港は国際的な貿易拠点として発展を遂げており、東南アジアに向けた経済・戦略上の要地となっていた。1931年に起きた満州事変を契機にイギリスは対日を意識した香港の防備強化を決め、1936年に九龍半島中央部一帯の要塞線ジン・ドリンカーズ・ライン(英語版)(en:Gin Drinkers Line、zh:醉酒灣防線)が完成した。しかし、これら防備強化も空しく1940年6月には日本軍日中戦争の一環として宝安県を攻略しイギリスと中華民国との国境を完全に封鎖した。その後、翌1941年の12月に真珠湾攻撃とほぼ同時に香港攻略が開始され、日本軍が拠点としていたホテル「ザ・ペニンシュラ香港」で同月25日、日英間で降伏文書が取り交わされるまで戦闘は続いた[18]。この一連の戦いは「香港の戦い」と呼ばれる。

その後、香港は日本軍の軍政下に入り、イギリスの香港政庁に代わる香港軍政庁が降伏文書が取り交わされたペニンシュラホテルに設置された(日本占領時期の香港[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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