日本とガーナの関係(にほんとガーナのかんけい、英語: Japan-Ghana relations) では、日本とガーナの関係について概説する。日本とガーナ共和国の関係とも。概ね友好的な関係を築いている。 ガーナ 日本両国の差 日本とガーナが初めて接触したのは1927年であり、日本人医師である野口英世がガーナ(当時イギリス領ゴールドコースト)に赴き黄熱病の研究をしたことに始まる。研究していた野口英世自身も黄熱病に罹患してガーナに到着した翌年の1928年、アクラにて客死[20]。しかしながらガーナにおいても日本においても野口は偉人として知られており、アフリカでの感染症の研究に資した人物に送られる野口英世アフリカ賞の設立にはガーナ大統領ジョン・アジェクム・クフォーが深く関わっているほか[21]、野口の出身地である福島県にある福島県立医科大学は現在でも医師を派遣している。 1957年、ガーナはアフリカの年に先駆けイギリス領トーゴランドも含めてブラックアフリカ初の独立国となった。同年3月、日本は同国を独立と同時に国家承認し外交関係を樹立。1959年3月にはアクラに在ガーナ日本国大使館を開設された。一方でガーナは1960年5月に東京に在日ガーナ大使館を開設した[3]。 また1966年には在大阪ガーナ総領事館が開設されるも二年後の1968年に財政上の理由から閉鎖され[22][23]、代わって現在では福岡市に在福岡ガーナ共和国名誉総領事館が、札幌市に在札幌ガーナ共和国名誉領事館がそれぞれ開設されている[24]。 日本は東アジア、ガーナは西アフリカに位置する国家であり地理的に遠距離にある。ガーナはイギリスによって植民地化され日本はアフリカに植民地を持たなかったことから、歴史的な接触もほとんどなかった。 第二次世界大戦でイギリス軍の西アフリカ師団としてビルマへ派兵され、日本軍と交戦した。この時の戦利品は現在も軍事博物館 しかしながら日本は大国、ガーナは西アフリカにおける地域大国であり、また資本主義、民主主義、自由主義、法の支配や人権の尊重といった多くの理念や価値観を共有しているため経済的な交流の深化が図られている。上記したように野口英世の功績によって医療や衛生分野でも協力関係にあり、アフリカの中では結び付きの強い友好国である[3]。 西アフリカの主導国であるというガーナの特徴から、多くの要人がガーナを訪問している[3]。
両国の比較
人口3107万2945人(2020年)[1]1億2583万人(2020年)[2]日本はガーナの約4倍
国土面積23万8537 km2[3]37万7972 km2日本はガーナの約1.6倍
人口密度137 人/km2(2020年)[4]345 人/km2(2020年)[5]日本はガーナの約2.5倍
首都アクラ東京都
最大都市アクラ東京都区部
政体大統領制 共和制(民主制)議院内閣制[注釈 1]
公用語英語日本語(事実上)
通貨セディ日本円
国教なしなし
人間開発指数0.592[6]0.919[6]
民主主義指数6.63[7]7.99[7]
GDP(名目)685億3228万米ドル(2020年)[8]4兆9754億1524万米ドル(2019年)[9]日本はガーナの約72.6倍
一人当たり名目GDP2,205.5米ドル(2020年)[10]39,538.9米ドル(2020年)[11]日本はガーナの約17.9倍
GDP(購買力平価)1784億2996万米ドル(2019年)[12]5兆5043億3091万米ドル(2019年)[13]日本はガーナの約30.8倍
一人当たり実質GDP5,742.3米ドル(2019年)[14]43,593.5米ドル(2019年)[15]日本はガーナの約7.6倍
経済成長率6.5%(2019年)[16]0.3%(2019年)[17]
軍事費2億3988万7164米ドル(2020年)[18]491億4855万米ドル(2020年)[19]日本はガーナの約204.9倍
地図
歴史ガーナで活躍した野口英世
外交アクラの在ガーナ日本国大使館
二国間関係
日本要人のガーナ訪問