日曜はダメよ_(映画)
[Wikipedia|▼Menu]

日曜はダメよ
Ποτ? Την Κυριακ?
Never on Sunday
監督
ジュールズ・ダッシン
脚本ジュールズ・ダッシン
製作ジュールズ・ダッシン[注 1]
出演者メリナ・メルクーリ
ジュールズ・ダッシン
ジョージ・ファウンダス(英語版)
音楽マノス・ハジダキス
主題歌メリナ・メルクーリ
「日?はダメよ(英語版)」
撮影ジャック・ナットー(フランス語版)
編集ロジャー・ドワイア(フランス語版)
製作会社メリナ・フィルム
配給 ロパート・ピクチャーズ
ユナイテッド・アーティスツ
公開 1960年10月1日
1961年5月3日
上映時間91分
製作国 ギリシャ王国
アメリカ合衆国
言語英語
ギリシャ語
ロシア語
製作費$151,000[2]
テンプレートを表示

『日曜はダメよ』(にちようはダメよ、希題:Ποτ? Την Κυριακ?、ラテン文字翻字:Pote tin Kyriaki、英題:Never on Sunday、仏題:Jamais le dimanche)は、1960年ギリシャアメリカ合衆国ロマンティック・コメディ映画である。1961年日本公開時のタイトルは『日?はダメよ』。監督・脚本・主演はジュールズ・ダッシン、他の出演はメリナ・メルクーリとジョージ・ファウンダス(英語版)など。

ギリシャピレウスに住む娼婦イリヤと、ギリシャ研究者でギリシャの全てをこよなく愛するアメリカ人旅行者ホーマーとの物語で、舞踊・音楽・言語などのギリシャ文化に観衆が穏やかに浸れるものとなっている。また、主題歌「日?はダメよ(英語版)」とブズーキによるテーマ音楽は1960年代を代表するヒット曲となり、作曲者のマノス・ハジダキス第33回アカデミー賞歌曲賞を受賞した。また、アカデミー賞では他に主演女優賞メリナ・メルクーリ)、衣裳デザイン賞(白黒部門)監督賞脚本賞にノミネートされた。
ストーリー

ギリシャの港町に住むイリヤは底抜けに明るい売春婦で、町中の男たちの憧れだ。アメリカから頭でっかちな古代ギリシャ哲学の民間研究家、ホーマーがやってきた。上陸第一歩、彼は酒場で町の男たちが酔って唄い踊るのに感激し思わず拍手したら、誤解され喧嘩になる。そこを仲裁したのが英語も喋れるイリヤだった。ホーマーは彼女こそアリストテレス以来の伝統的ギリシャ人とみて研究対象に決め、さらには今の商売をやめさせようと思った。二人は古代劇場での観劇に出かけるが、彼女の独特なギリシャ悲劇の解釈にホーマーは面食らう。

イリヤは日曜だけは仕事を休んで、トニオやジョルゴら気の合った男たちを呼んでドンチャン騒ぎをやった。ホーマーも粘りが功を奏して参加することができた。そこへ町の売春ボス、ノー・フェイスの子分ガルベジが贈物を持ってきたが、たちまち男たちにつまみ出された。街の売春婦たちがボスに対して不当に高い家賃を払わされている中で、独立営業のイリヤはノー・フェイスにとってシャクの種だった。ホーマーのイリヤへの思惑を知ったノー・フェイスは、ホーマーに金をちらつかせてイリヤに足を洗わせる手助けを要求する。

ホーマーはイリヤの仕事を2週間休ませ、部屋を図書館のように模様替えしてイリヤに学問芸術を教え込む。イリヤもすっかりその気にはなるが、一抹の寂しさは抱え、クラシックではなく流行歌のレコードをかけて一人歌う。売春婦の1人が、イリヤにホーマーがノー・フェイスの手先だと教えた。怒った彼女は今までの修行をほっぽりだした。そこへ外国の大艦隊が入港した。イリヤは売春婦たちの先頭に立ってノー・フェイスに抗議デモを始める。売春婦たちは皆逮捕されるが、留置場での団体交渉に成功して、軍配はイリヤ側に上った。再び酒場にイリヤの姿がみられるようになり、男たちは大喜び。ギリシャ人気質を思い知らされたホーマーも考えを変え、やけくそのように踊りに加わった。イリヤに恋心を抱くホーマーだが、イリヤの「日曜の人」はトニオだ。次の日、出港するアメリカ船の甲板に、1人寂しく帰国するホーマーの姿があった。
キャスト

※括弧内は日本語吹替(初回放送1969年7月5日『土曜映画劇場』)

イリヤ: メリナ・メルクーリ富永美沙子


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef