日御碕神社
[Wikipedia|▼Menu]

日御碕神社

楼門
所在地島根県出雲市大社町日御碕455
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度25分46.4秒 東経132度37分45.5秒 / 北緯35.429556度 東経132.629306度 / 35.429556; 132.629306座標: 北緯35度25分46.4秒 東経132度37分45.5秒 / 北緯35.429556度 東経132.629306度 / 35.429556; 132.629306
主祭神天照大御神
素盞嗚尊
社格式内社(小)
国幣小社
別表神社
創建安寧天皇13年
本殿の様式権現造
別名通称「みさきさん」
札所等出雲國神仏霊場20番
例祭8月7日
主な神事御寄神事、御饗神事、釿始祭、和布刈神事、例大祭/神幸祭、爪剥祭、神在祭/神去出祭、神劔奉天神事
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}日御碕神社島根県内での位置出雲市内での位置
テンプレートを表示
日沈宮(下の宮)
拝殿(重要文化財)神の宮(上の宮)
拝殿(重要文化財)

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市日御碕に鎮座する神社。通称、みさきさん。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める。社殿12棟などが国の重要文化財に指定されている。
歴史

当社は、上下の2社あり、上の宮を神の宮、下の宮を、日沈宮(ひしずみのみや、日?の宮)と称し、2社を総称し日御碕神社(日御碕大神宮)と呼ばれる。古くは『出雲国風土記』に美佐伎社、『延喜式』に御碕社とあり[1]、地元では「みさきさん」とよばれる[2]

社伝によると、素盞鳴尊出雲の国造りの後、熊成峰[注 1]に登り、鎮まる地を求めて、柏葉を風で占うと隠ヶ丘[注 2]に止まった。そこで御子・天葺根命は御魂をその地で奉斎したと伝わり、隠ケ丘(古墳)が現・社殿の裏側にある[1]。日沈宮は元は文島(現・経島)に鎮座し、天葺根命が文島にいたとき、天照大神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅によって奉斎したのが始まりと伝わる[1]

平安時代末期に後白河上皇が編纂した『梁塵秘抄』に「聖の住所(すみか)」として記される修験の聖地である[3]。神の宮(上の宮)は、現・社殿の背後にある隠ヶ丘に鎮座していたが、安寧天皇13年(紀元前536年)に、勅命により現在地へ遷座し、日沈宮(下の宮)は、経島(日置島)に鎮座していたが、天暦2年(948年)に村上天皇の勅命により現在地に遷座したと伝わる[2][3]

古くから朝廷からの崇敬が厚く、鎌倉時代以降も幕府からの崇敬があり、社殿の修造が行われている。出雲国松江藩初代・堀尾忠氏は、社領780石余を与え、徳川幕府も600石を与えている[1]。山陰において出雲大社に継ぐ大社とされる[4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:43 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef