日刊県民福井
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日刊県民福井

日刊県民福井本社が入居する県民福井ビル
種類日刊紙
サイズブランケット判

事業者(編集・発行・販売)株式会社中日新聞社福井支社
(取材)株式会社日刊県民福井
本社福井市
創刊1977年7月1日
前身日刊福井
言語日本語
価格1部 100円
月極 2,480円
発行数3万154部(2023年下半期平均[1]
ウェブサイトhttps://www.chunichi.co.jp/kenmin_fukui/
本社所在地 日本
〒910-0005
福井県福井市大手三丁目1番8号
資本金1400万円
特記事項:
1993年北陸中日新聞福井版と統合し、発行事業者が中日新聞社に変わる。
1994年に現在の題号に変更。
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株式会社日刊県民福井種類株式会社
略称県民福井
本社所在地 日本
910-0005
福井県福井市大手三丁目1番8号
設立1977年7月1日
(株式会社日刊福井)
業種情報・通信業
法人番号8210001002669
事業内容地方紙「日刊県民福井」の取材事業
資本金1400万円
主要株主中日新聞社
特記事項:1992年中日新聞北陸本社に株式譲渡
1993年北陸中日新聞福井版と紙面統合
1994年6月15日に題号・法人名を「日刊県民福井」と改める
現在の法人上の「日刊県民福井」は取材業務のみを担当し、編集・発行部門は中日新聞北陸本社・福井支社が請け負っている
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日刊県民福井(にっかんけんみんふくい)は、福井県を発行地域とする日本地方紙である。『北陸中日新聞』の発行元である中日新聞北陸本社石川県金沢市)で紙面を製作し、中日新聞社福井支社が発行元となっている。朝刊専売。販売部数(2023年7月から12月の1か月平均)は3万154部[1]。地元での通称は「日刊」だが、中日新聞グループでの通称は「県民(けんみん)」である。
概説

1977年7月1日、同社の実質的前身である株式会社日刊福井が、地元発祥の大手ゼネコン熊谷組の会長で当時福井テレビジョン放送(以下「福井テレビ」)の会長だった熊谷太三郎の支援を受け、「日刊福井」(以下「日刊」)として創刊した[2][3]。日本の新聞で初めて全ページに電算写植方式を採用[3]。この創刊の時点では、日刊と中日とは何のつながりもなかった。しかし、熊谷の死去後、県紙福井新聞などとの熾烈な競争から、慢性的な赤字経営に陥った。なお、日刊設立時には福井新聞の一部の役員が設立に関わっている[2][4]

その状況下の1992年中日新聞社が日刊の支援に乗り出した。日刊は中日に経営権を譲渡し、一旦、中日新聞北陸本社(石川県金沢市・北陸中日新聞〈以下「北中」〉発行元)に発行元を移した。1993年1月3日には北中・福井版と紙面を統合[2]。そして1994年、中日は日刊の発行元を福井に戻し、同年6月15日より題号を今の「日刊県民福井」(以下「県民」)に変更した[2][5]。中日は県民創刊時に福井支社を設置している[2]

なお、法人組織としての株式会社日刊県民福井は中日グループ傘下となって以降も存続してはいるが、現在は報道取材のみの業務を担う中日の“下請け”的存在に変わっており、同社独自の取材網も嶺北地域の一部に限られ、嶺南若狭地域には及んでいない。後述の取材拠点一覧も、県民福井本社と中日新聞福井支社は電話番号が異なるものの所在地は同一であり、丹南、鯖江、坂井、大野、勝山の各取材支社・通信部は、それぞれ中日福井支社と県民福井の支社・通信部を兼ねている旨が記載されている。

県民の紙面は中日新聞北陸本社で製作されているが、中日新聞名古屋版(福井県内でも一部地域で発売)および東京新聞と一部紙面を共有している。紙齢(創刊からの号数)は、北中の福井県発行分を継承している。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}県民の印刷については、過去は金沢市にある北中の工場(幸ビル)にて行われていたが、2021年現在は岐阜県岐阜市にある「中日新聞印刷」の岐阜工場(岐阜県・滋賀県・福井県向けの中日新聞・中日スポーツを印刷)にて行われている[要出典]。

連載漫画は2017年4月1日から中日と同じ青沼貴子の『ねえ、ぴよちゃん』が掲載されている。

かつて五木寛之の『親鸞』(第一部)、『親鸞 激動篇』(第二部)、『親鸞 完結篇』(第三部)を掲載。なお同作は競合紙である福井新聞にも掲載(激動篇、完結篇)されていた。なお、中日新聞などで日曜日に折り込まれる別冊の「中日サンデー版」は当紙では発行されておらず、日曜日に週間テレビガイド、月曜日に大図解が本紙に折り込まれる。

なお、福井テレビは開局時からライバル県域紙である福井新聞とともに中日新聞社が筆頭株主、また系列局の東海テレビ放送とも資本関係があるため、日刊(県民)が中日傘下に入る前から中日新聞との関係が深く、1972年に中日(北中)と福新の対立関係で一時期中日系役員が引き上げてしまったものの、関係修復の目的で1973年11月から、「北陸中日新聞ニュース」が放送されている。日刊(県民)が北中と紙面統合後も、県民提供のニュース(平日夕方)は「中日新聞ニュース」名義で生放送されている[6]
沿革

1976年9月1日 - 「株式会社日刊福井」創立[3]

1977年7月1日 - 『日刊福井』創刊[2][3]

1978年10月1日 - 日本新聞協会加盟[3]

1992年12月25日 - 翌年1月1日をもって発行停止[7]し中日新聞社に全株式を譲渡することを発表。

1993年1月3日 - 北陸本社で紙面製作・印刷を開始[2]

1994年6月15日 - 中日福井支局が支社に昇格。同支社を新たな発行元とし、題字を現在の『日刊県民福井』に改題[2][3][5]

2010年7月 - 中日新聞社は法人の日刊県民福井を完全子会社化[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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