「山陰中央鉄道」はこの項目へ転送されています。同社が運営していたもう一方の路線である広瀬線については「一畑電気鉄道広瀬線」をご覧ください。
法勝寺電鉄線
米子市内に保存されているフ50客車
概要
現況廃止
起終点起点:米子市駅(本線)、阿賀駅(母里支線)
終点:法勝寺駅(本線)、母里駅(母里支線)
駅数10駅(本線)、5駅(母里支線・阿賀駅は本線のみに計上)
運営
開業1924年7月8日 (1924-07-08)
廃止1967年5月15日 (1967-5-15)
所有者法勝寺鉄道→伯陽電鉄→
山陰中央鉄道→日ノ丸自動車
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長12.4 km (7.7 mi) (米子市-法勝寺間)
5.5 km (3.4 mi) (母里支線)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化直流600 V 架空電車線方式
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
米子電車軌道:灘町線
←国鉄:山陰本線→
10.7
0.0
阿賀
法勝寺電鉄線(ほっしょうじでんてつせん)は、かつて鳥取県米子市と同県西伯郡西伯町法勝寺(現・南部町)の間を結んでいた日ノ丸自動車の鉄道路線である。目次 1924年(大正13年)に法勝寺鉄道という名前で開業し、地元では、開業当時の名前から「法勝寺電車」と呼ばれることが多かった。その後伯陽電鉄に社名を改めている。ちなみにこの社名は『日ノ丸自動車八十年史』(同社、2012年)では伯耆と山陽を結ぶ意図を持っていたことからとしているが、『新修米子市史』第三巻(同市、2007年)では「伯陽の陽は旧国名の一字下につける美称で、伯州の意」としている[1]。山陽地方への延長は行われなかったものの、同規模の地方鉄道にしては珍しく鳥取県から県境を越えて島根県の母里(現・安来市)までの母里支線を開業させている。しかしながら母里支線の営業成績は芳しくなく、不要不急路線に指定され開業から僅か14年の短命に終わった。 その後山陰中央鉄道を経て、1953年(昭和28年)に地元のバス会社である日ノ丸自動車へ吸収合併され、1960年代のモータリゼーションの進行に勝てず廃止となった。 ※本線・母里支線とも廃止直前のデータ。 1959年(昭和34年)時点で、米子市 - 法勝寺間は1日15往復、おおむね約60分毎の運転だった。
1 概要
2 路線データ
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 接続路線
7 輸送・収支実績
8 車両
8.1 電動車
8.2 付随客車
8.3 保存車両
9 脚注
10 参考書籍
11 関連項目
概要
路線データ
路線距離(営業キロ):本線12.4km、母里支線5.5km
軌間:1067mm
駅数:本線10駅、母里支線5駅(起終点駅含む。阿賀駅は本線のみに計上)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)
手間変電所[2]。以前は安養寺変電所、回転変流器(交流側450V直流側600V)直流側の出力100KW、常用1、予備1、製造所明電舎[3]
閉塞方式:
運行形態
歴史
1922年(大正11年)
11月16日: 法勝寺軽便鉄道に対し鉄道免許状下付(西伯郡米子町-同郡法勝寺村間 動力蒸気)[4]
12月28日: 法勝寺鉄道株式会社設立[5][6]
1923年(大正12年)7月17日:動力を電気に変更[7]
1924年(大正13年)
7月8日 : 法勝寺鉄道 米子町(後の米子市) - 大袋間開業(旅客運輸)[8]
7月18日: 鉄道免許状下付(西伯郡法勝寺村-能義郡井尻村間)[9]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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