旅行ガイドブック
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書店の棚に並ぶ旅行ガイド

旅行ガイドブック(りょこうガイドブック)とは、観光仕事などの目的で未知の地域へ向かう(旅行する)者に対して、その目的地となる特定地域の情報や移動手段の情報などを提供するための出版物のことである。旅行ガイド、旅行案内書、または単純にガイドブックとも呼ばれる。
構成概要

旅行ガイドブックは、目的となる地域の情報を提供するものである。内容としては地形気候、動植物などの地理歴史文化、経済、言語などの情報を提供すべき特定地域の背景を示し、鉄道バス自動車人力車リクシャー)・レンタサイクル航空機・などによる移動手段の紹介、服装宿泊、食事、見どころ、祭り登山ハイキングその他のアクティビティや体験、土産物などについての情報を正確にかつ読者に伝わりやすく記述する。また観光地やホテルなどの宿泊施設、レストランなどの批評やランク付けなども行う。ベデカー』のブレーメン地図(1910)

文字情報だけでなく、全体地図や詳細地図などの地図、写真なども重要なガイドブックの要素である。また記述言語と異なる言語を用いる地域を案内する場合には、会話集や単語集・簡易辞典なども付録する。

出版形式は、国別や地方別、都市別というように分冊・シリーズ化して出版されるものが多い。一方で地域の行政庁やコミュニティが該当地域独自に発行するものも存在する。旅行ガイドブックの内容は、発行日から経過するとともに現状に沿わなくなる。そのため、毎年または数年間隔で改訂する必要がある。需要の少ない地域のガイドブックは発行部数も少なくなり、結果として改訂頻度が減るため正確な情報の減少や、場合によっては他地域と統合されてしまうこともある。

旅行ガイドブックの体裁は、A5やB5、B6、バイブルサイズなど比較的携帯に便利な小型サイズが多い。一方で、近年[いつ?]自動車による旅行を楽しむ者も増加傾向にあり[要出典]、A4サイズに折りたたみできる大きな地図が付録しているガイドブックも顕著である。また地図や写真などの見栄えを良くするため全面フルカラーのものも多い。内容も、地域の歴史や名所旧跡の紹介中心から、料理やホテル・温泉、みやげ物など消費誘導型の記事や、さらに特定の観光地やホテルなどとのタイアップ記事、ホテル・レストラン・観光施設の割引クーポンが付いたものもある。

また近年[いつ?]は、単なる物見遊山の旅ではなく、仕事や留学、定年後の長期滞在など長期間海外で生活する生活を海外に移すためのガイドブックなども登場し、リゾートやダイビング・登山など目的別のガイドブックも増えた[要出典]。
旅行ガイドブックの歴史1912年の『ベデカー』。左に案内地図が折り込まれている

旅行ガイドブックを、未知の地域へ向かうものへの情報提供手段ととらえるのであれば、その起源は人類の記録をつける習慣の発生までさかのぼることもできる。記録があるものではポセイドニオスが書いたガイドブックが最古[1]になる。

そもそも交通機関が未発達であり、旅行は冒険・探検要素が多分に含まれたものだった。旅行を扱った文書の多くは、筆者の個人的体験や感想を述べた紀行文のスタイルが多く、創作された内容や誇張された情報も含まれていたものも多かった。

1815年ナポレオン戦争が終了し、多くのイギリス人がヨーロッパ大陸本土へ余暇として旅行するようになった。それまでグランドツアーとしてごく一部の貴族のものであったヨーロッパ大陸への旅行が、産業革命の後押しで登場した中産階級へと広まりを見せた。名所旧跡の教養的な記述に加え、交通機関やホテル・レストランなどの情報を盛り込んだ近代的な旅行ガイドブックが登場したのは、この頃であった。

地域別にシリーズ化された近代的な旅行ガイドブックは、ドイツ人のカール・ベデカーが『ベデカー』(Baedeker)として『ライン川案内』を1828年1835年1839年説もあり[注 1])に出版、イギリス人のジョン・マレーが1836年に『マレー』(Murray)として『大陸案内』を出版。この2つが始祖とされる。

1900年に入ると英語圏では『ベデカー』がシェアを伸ばした。フランスではアシェット社の『ギド・ブルー』、ミシュラン社の『ギド・ミシュラン』(ミシュラン・ガイド、Michelin Guide)などがある。『ギド・ミシュラン』は1900年に旅行の活発化によりミシュラン製の自動車タイヤの拡販を目論んで、無料で配られた観光パンフレットであった。一切の広告を排除してホテルやレストランの星数による格付けがなされたホテル・レストランガイドブックになった。通称赤ミシュランと呼ばれる。赤ミシュランの格付けは、今日においてもヨーロッパで最も権威ある評価の1つとされる。

第一次世界大戦後は、旅行ガイドブックの様相も変化した。まず『マレー』・『ベデカー』が衰退した。イギリスでは『ベデカー』の英語版の執筆・編集に携わっていたジェームズ・ミューアヘッド(James F Muirhead)を中心にイギリスで『ブルーガイド』が1918年に刊行し、シリーズ化。以後英語圏を中心に人気を博した。

アメリカでは『フォウダー』(Fodor's)が1936年に創刊した。またニューディール政策の一環として文筆家の失業対策であった連邦作家プロジェクト(FWP)により、アメリカ国内の旅行ガイドブックである『アメリカ・ガイド・シリーズ』(American Guide Series)が各州ごとのガイドブックを1935年から1943年にかけて刊行された。

第二次世界大戦後は、交通手段の発達により旅行の大衆化が急速に進んだ。旅行の教養的側面を重視した旧来のガイドブックから旅のハウツーを重視するガイドブックへと移行するようになった。1957年のアメリカ『フロマー』(Frommer's)の『1日10ドル、ヨーロッパ旅行』(Europe on $10 a Day)が代表的で、その後世界各地へのガイドへ広がった。

1973年イギリス人トニー・ウィーラー(Tony Wheeler)の夫婦が自身のイギリスからアジア経由でオーストラリアまで旅した内容をまとめた『ロンリープラネット』(Lonely Planet)が出版された。以後、オーストラリアのロンリープラネット社のシリーズはバックパッカーなど個人で海外旅行を楽しむ人たちを中心に人気を集め、フランス語版、日本語版なども刊行した。2004年には英語圏でシェア25%のトップの座を獲得した。
日本の旅行ガイドブックの歴史歌川広重東海道五十三次1834年天保5年)は浮世絵による観光名所ガイドであった
江戸時代

日本においても旅の記録をつけることは古くより存在した。しかし、旅日記や紀行文などと明確に異なる案内記の書式は、江戸時代から現れた。

江戸幕府は、武家庶民の区別なく人々の移動を厳しく制限した。一方で、街道の整備が進み、長く続いた太平の時代となり、物見遊山の旅を促進もした。富士参詣伊勢参りなどである。これにともない、道中記[注 2]と呼ばれる、いわゆるガイドブックが多数登場した。

江戸時代で一番古いとされる道中記は、小島弥兵衛の著のものである。1655年明暦元年)頃のもので、江戸から東海道を通り京都までの宿間の距離、駄賃等が記載されている。

また八隅蘆庵(やすみろあん)の『旅行用心集』(1810年文化7年))は、旅の心得61カ条を始め、諸国の温泉街道の里程など詳しく記されていた。「可愛い子には旅をさせよ」など現在にも残る表現がある。
近現代

日本の近代的な旅行ガイドブックは明治期に入り、鉄道とともに進歩した。日本で最初の近代的な旅行ガイドブックは、明治時代山陽鉄道によるといわれる。以後、主要な鉄道が国有化されると旅行ガイドブックの出版も鉄道院鉄道省と鉄道事業主導・国家主導ですすめられた。

1911年(明治44年)、鉄道院が『鉄道院線沿道遊覧地案内』を刊行。その後、『鉄道旅行案内』と改訂される。また『鉄道旅行案内』で執筆・編集に関わっていた谷口梨花が、博文館より『汽車の窓から』(「西南部」と「東北部」の二巻立て)を1918年(大正7年)に出版した。


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