旅芸人の記録
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旅芸人の記録
Ο Θ?ασο? / O Thiassos
監督テオ・アンゲロプロス
脚本テオ・アンゲロプロス
製作ヨルゴス・パパリオス
出演者エヴァ・コタマニドゥ
音楽ルキアノス・キライドニス
撮影ヨルゴス・アルヴァニティス
編集タキス・ダヴロプロス
ヨルゴス・トリアンダフィル
配給フランス映画社
公開 1975年9月
1979年8月11日
上映時間230分
製作国 ギリシャ
言語ギリシャ語
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『旅芸人の記録』(: O Θ?ασο?、翻字: O Thiassos)は、テオ・アンゲロプロス監督のギリシャ映画。

旅芸人の一行が19世紀の牧歌劇「羊飼いのゴルフォ」を上演しながら、アトレウス家の古代神話を基にギリシャを旅し、1939年から1952年の政治史を中心としたギリシャ史が旅芸人の視点から語られる。「現代ギリシャ史と風景を横断する旅」をテーマとし、ギリシア神話に依拠した、叙情詩的、叙事詩的な作品である。目次

1 ストーリー

2 キャスト

3 受賞

4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典


5 外部リンク

ストーリー
小劇場開幕
アコーディオン奏者の老人が、スプリドス・ペレシアドス(Σπυρ?δων Περεσι?δου, Spyridos Peresiados)作の牧歌劇「羊飼いの少女ゴルフォ (Γκ?λφω, η βοσκοπο?λα)」全5幕の前口上を述べた後、本舞台の幕が開かれる。
1952年11月
1952年秋、旅芸人の一座がエギオンに到着する。一座の面々は過去と大分違っていた。2日間眠っていなかった。町中では11月16日総選挙のために軍事政権の宣伝が行われ、ギリシャ内戦で功績をあげたパパゴス元帥に投票せよ、と呼びかけている。12人の旅芸人の一座が重い衣装鞄をさげて歩いていく。
1939年秋
一座は1939年の回想へ入り込んでいく。当時の顔触れである父アガメムノン(座長)、母クリュタイムネストラ、長女エレクトラ、次女クリュソテミスと彼女の息子、長男オレステスの一家に、先頭をゆくピュラデス、「詩人」と呼ばれる青年、老男優に老女優、アコーディオン奏者の老人、そしてアイギストスがいる。広場では男が自転車を押しながら「ゲッベルス閣下が、メタクサス将軍の先導で、オリンピア見学の途中、エギオンに来訪する」と声をあげて宣伝している。アイギストスはカフェの机に上がり、ファランへ主義者(ファシスト)のスタイルでファランギ賛美の歌を歌う。クリュタイムネストラは毛皮のコートを着てその傍らに着席している。アイギストスの姿勢に賛同できないピュラデスは、「ραγισμ?νη καρδι? (悲しみの心)」を歌い上げる。一座の出し物は「羊飼いの少女ゴルフォ」。ヒロインのゴルフォとその恋人タソスの牧歌的悲恋を描くもので、エレクトラがゴルフォ役を母親から受け継ぎ、弟オレステスがタソス役を父親から受け継いだばかりであるが、兵役に召集されたオレステスに代わり、ピュラデスがタソス役をすることになった。その夜、エレクトラは、母クリュタイムネストラとアイギストスの密通を目撃してうちひしがれる。特別休暇で兵役から戻っているオレステスがタソス役としてエレクトラを慰める。「羊飼いの少女ゴルフォ」の幕が上がる。タソスとゴルフォの芝居が幕を明けると、アイギストスの密告により、ピュラデスを拉致する秘密警察(公安)が侵入し、公演が中断される。翌朝、ピュラデスは「遠島」のため小船に乗せられて収容所へ旅立つ。オレステスと「詩人」とエレクトラの3人がその船を見送る。
1940年10月28日夜
蒸気機関車の牽く車内でアガメムノンが、1922年にギリシャ軍が小アジアに侵攻して敗北した際、難民としてイタリアの船で小アジアからギリシャ本土に帰国した時のことを回想する。一座が降り立った海岸沿いの駅では、街の人々が「ギリシャ人は再び剣を抜く」と歌っている。その夜の公演の冒頭、アガメムノンは「1940年10月28日朝5時30分、アルバニア国境から侵攻したイタリア軍をギリシャ軍は撃退した。本日はその戦勝を祝いたい」とギリシャがイタリアの国内自由通過を拒否して第二次大戦に参戦したことを賛美する。ゴルフォ役はエレクトラ、タソス役はアイギストスで公演の幕が開くが、空襲が始まり、中止せざるを得なくなる。「あなたはもう私を愛していない」(ひなげしの歌)と歌っているクリュタイムネストラに、アガメムノンは予備役で兵士になったことを得意げに告げるがクリュタイムネストラは嘲笑する。アガメムノンは彼女を平手打ちにし、立ち去る。クリュタイムネストラの部屋にアイギストスが入っていく。
1941年4月27日
ギリシャ全土がドイツ軍の機甲師団によって占領された。時を越えた1952年の一座は波止場に散策に出る。彼らの通り過ぎた道を軍事政権のパパゴス元帥の選挙応援車が通過する。同じ道を1942年のドイツ軍の軍用車両も通り過ぎる。
1942年冬
ドイツ軍が、イギリスの送りこんだスパイとパルチザンを追跡しており、一座の宿が捜索を受ける。アイギストスの密告で、オレステスがパルチザンの一員であることを察知していたドイツ軍は、身代わりにアガメムノンを連行する。死を前にしたアガメムノンは「私はイオニアの海から来た、君たちは何処から?」と問うが銃殺隊は答えず、アガメムノンを射殺する。旅芸人の一同は、座長となったアイギストスに黙従するだけだった。「文句があるやつは去れ」と宿舎で怒鳴るアイギストスを横目に老男優が去っていく。
1943年
ある日、脱獄に成功してパルチザンとなったピュラデスが、オレステスと合流するためにエレクトラを訪ねてくる。一方クリュソテミスは、食料のオリーブ油をもらうためにドイツ軍の協力者である雑貨屋の暗い地下倉庫で、下着一枚の姿になって海と愛に希望を託す詩歌を歌う。クリュソテミスが出ていった後、雑貨屋は射殺される。
1944年年頭
一座は「皆さま、お越しください」と歌を歌いながら雪道をたどっていくが、吊し首にされた反独パルチザンの死体が木にさげられているのを見て歌うのをやめる。


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