この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "方言区画論"
方言区画論(ほうげんくかくろん)とは日本語の方言の区分論である。方言の地域区分を方言区画と言う。 日本語の方言区画は、まず本土方言と琉球方言に分けられる。本土方言内の方言区画は、学者によって異なる。中でも最も後世に影響を与え、今も多く参照されているのは、東条操が1953年に発表した区画である。この案では、本土方言は東部方言(東日本方言。北海道から岐阜・愛知まで)と西部方言(西日本方言。北陸から中国・四国まで)と九州方言の3つに分けられた[1]。 東条の目指した方言区画は、方言全体の体系の違いを基準に、日本語が内部でどう分裂し各方言がどういう相互関係を持っているかを示すものだった。しかし、地域間を移動すれば方言が次第に変化し、明確な境界線が引けないということもありうる。個々の項目、たとえば「元気だ」と言うか「元気じゃ」と言うか、あるいは「せ」を「しぇ」と発音するかしないかなどには確かに境界があるが、それぞれがバラバラの境界線(等語線)を持っているため、これらを一つにまとめて方言境界を定めることは簡単ではない。そこで方言区画では、一つ一つの単語の違いよりも、文法や音韻、アクセントの体系的な違いが重視される。特にアクセントは、それ自体が体系を成している。東条が東日本方言と西日本方言の境界を愛知・岐阜と三重・滋賀の間に引いたり、中国方言と四国方言を分けたりしたことには、アクセントの違いが反映していると言われている[2]。 しかし東条の区画は、どういう手続きでその結論に達したか、具体的には示されていない。一方で都竹通年雄や奥村三雄は、母音・子音の性質や断定の助動詞、命令形語尾の違いなど、区画に用いる指標を何項目か示したうえで、それらを重ね合わせて境界を決める方法を取った。例えば奥村は、東日本方言と西日本方言の境界線を引く指標として、アクセント、連母音変化の有無、ワ行五段動詞の「買った」「買うた」などの境界を示している[3]。結果として、都竹案では北海道方言が北奥羽方言の中に、東関東方言が南奥羽方言の中に入れられ、岐阜・愛知方言は西日本方言に入れられた[1]。奥村案では本土を東日本と西日本に分け、さらにそれぞれを二つに分けている[3]。加藤正信は、関東方言と東北方言の境界などに関して、東条案では行政区画や地理的区分をある程度重視しているのに対し、都竹案では行政・地理的区分から解放されていると評価している[4]。
諸家による区画
東条操による方言区画(1953年)[1]
本土方言
東部方言
北海道方言
東北方言(北奥方言、南奥方言)
関東方言(東関東方言、西関東方言)
東海・東山方言(越後方言、長野・山梨・静岡方言、岐阜・愛知方言)
八丈島方言
西部方言
北陸方言
近畿方言
中国方言(東山陰方言、東山陽方言、西中国方言)
雲伯方言
四国方言(阿讃予方言、土佐方言)
九州方言
豊日方言
肥筑方言(筑前方言、中南部方言)
薩隅方言
琉球方言
奄美方言
沖縄方言
先島方言
都竹通年雄による方言区画(1949年)[1]
本土
本州東部
北奥羽方言 ※北海道を含む
南奥羽方言 ※東関東を含む
西関東方言
八丈島方言
越後方言
長野県・山梨県・静岡県方言