方向・社会民主主義
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スロバキア共和国の政党方向・社会民主主義
SMER-socialna demokracia(SMER-SD)
党首ロベルト・フィツォ
成立年月日1999年11月8日
国民議会49 / 150   (33%)(2016年3月5日)
政治的思想・立場中道左派社会民主主義
公式サイト ⇒SMER-socialna demokracia
国際組織社会主義インターナショナル
欧州社会党
欧州議会の会派は社会民主進歩同盟所属
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方向・社会民主主義またはスメル(スロバキア語: SMER-SD, SMER-socialna demokracia)は、スロバキア共和国社会民主主義政党スロバキア共和国国民議会の第一党で、社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナル加盟政党である。本項では前身の「方向」(スメル、Smer)についても述べる。
目次

1 概要

1.1 方向(SMER)

1.2 方向・社会民主(SMER-SD)


2 脚注

3 参考文献

概要
方向(SMER)

1999年に発足した第一次ミクラーシュ・ズリンダ政権に連立与党として加わった社会民主主義政党、民主左翼党(SD? : Strana demokratickej ?avice)副党首のロベルト・フィツォが同年12月、自らの処遇への不満と、ベネシュ布告の廃止を求める少数民族政党のハンガリー人連立党(SMK : Strana ma?arskej koalicie)が同じ連立与党として政権に加わったことへの反発から同党を離党し、自らが党首となって結成した政党である(11月8日政党登録)。

Smerはスロバキア語で「方向」または「道標」を意味する。結成当初は経済政策における立場を明確にせず、既存の政治勢力の不正・腐敗を批判しつつ、フィツォの個人的カリスマに依拠する形で支持率を拡大。この間、自党のキャッチフレーズとして"tretia cesta"(第三の道)という名称を用いた。

2002年国民議会選挙では得票率13.45%で23議席を獲得、第三党となった。この選挙でほかの中道左派政党が軒並み全滅したことから、次第に政治的立場を中道左派路線にシフトした。
方向・社会民主(SMER-SD)

中道左派路線を明確にしたSMERは2004年12月、社会民主主義政党のSD?、社会民主オルタナティブ(SDA : Socialnodemokraticka alternativa)、スロバキア社会民主党(SDSS : Socialnodemokraticka strana Slovenska)などの社会民主主義系の諸政党を吸収し、党名を「Smer-SD」(方向・社会民主主義)に変更した(2005年1月18日政党登録)。社会民主主義路線を明確に打ち出し、欧州連合加盟国の社民主義政党や労働運動組織で構成する欧州政党欧州社会党加盟候補政党となった。

2006年国民議会選挙では得票率を倍増の29.14%とし、50議席を獲得して第一党となった。選挙後、民族主義政党のスロバキア国民党(SNS : Slovenska narodna strana)およびポピュリスト政党の人民党・民主スロバキア運動(?S-HZDS : ?udova strana - Hnutie za demokraticke Slovensko)と連立し、フィツォが首相に就任した。排他的ナショナリズムの立場を取るSNSと連立政権を組んだことから、欧州社会党は2008年2月までSMER-SDの加盟候補資格を停止した。

2010年国民議会選挙では、得票率34.79%で前回を上回る62議席を獲得し、引き続き第一党の座を確保した。しかし連立相手の人民党・民主スロバキア運動(?S-HZDS)が議席阻止条項である5%の得票率を得る事ができず議席をすべて失い、SNSも改選前の20議席を大きく下回る9議席にとどまって共に惨敗。過半数を維持できなくなった。フィツォは選挙後、規定に基づきガシュパロヴィッチ大統領から首相指名を受けたものの、第二党のスロバキア民主キリスト教連合・民主党(SDKU-DS)など中道右派4党がSMER-SDとの連立を拒否[1]したため、代わってSDKU-DS副党首のイヴェタ・ラジチョヴァーによる中道右派連立政権が発足し、SMER-SDは野党に転じた。

欧州金融安定化ファシリティ(EFSF)機能拡充条約批准支持の見返りとして2012年3月10日に繰り上げ実施された国民議会選挙では83議席を獲得、スロバキア議会選挙で初めて単独過半数を制することに成功した[2]。4月4日、フィツォを首相とするSMER単独政権が発足した。

2013年11月(9日と23日投票)に行われた統一地方選挙では、県議会で161議席(前回2009年選挙は138議席)を獲得、ブラチスラバ県を除いた全ての県議会で第1党の座を確保。県知事では全8県中6県でSMER派の知事を当選させた[3]

2016年3月5日の国民議会選挙では、第一党の地位は保ったものの選挙前の83議席を大幅に下回る49議席を獲得するに留まった。その後の政党間交渉の結果、国民党、モスト=ヒード(架け橋)、ネットワークの三党と連立政権を樹立することで合意が成立し、3月23日に第三次フィツォ内閣が発足した[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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