新鶴見信号場
構内(2004年6月)
しんつるみ
Shin-Tsurumi
新鶴見信号場(しんつるみしんごうじょう)は、神奈川県川崎市幸区鹿島田・小倉にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の信号場である。
かつては日本三大操車場のひとつであった新鶴見操車場があり[1]、ヤード集結形貨物輸送の終結に伴い一部機能を残して、1984年(昭和59年)に信号場に格下げされた。約42 ha(うち川崎市約30 ha、横浜市約12 ha)の広大な跡地の多くは長らく更地となっていたが、1990年代の末から再開発が行われてきている。
乗り入れ路線
東海道本線貨物支線(品鶴線) - 当信号場の所属線[2]。
武蔵野線(武蔵野南線)
南武線貨物支線(尻手短絡線)
概要と車両基地である新鶴見機関区が併設されているため、乗務員交代もしくは機関車の付け替え(機関車交換)を行う列車を中心に運転停車を行う。1、2分程度の運転停車や通過する列車は本線に、機関車交換や折り返しなどで数十分停車する列車は着発線に入線する。他に、東海道貨物線経由の相鉄線直通列車・特急「湘南」や関連の回送列車、団体専用列車や臨時列車などの一部旅客列車についてもこの信号場を経由している。
なお、構内の鶴見寄りにある東海道貨物線と南武線(尻手短絡線)の合流点には、同じ新鶴見信号場構内でも割畑(わりはた)と呼ばれる信号場がまた存在する。時刻表等では新鶴見(割畑)もしくは単に割畑、電略表記では「ハタ」と記される。ここには東海道貨物線の上下本線の間に鶴見・尻手方面へ向けて機関車用の有効長の短い着発線1本が敷かれ、新鶴見機関区の機留線群との間で単機回送列車が直接入出区ができるようになっている。このため、実際にこの信号場を発着する列車は、新鶴見機関区へ入出区する単機回送列車のみに限られている。
歴史新鶴見操車場(1954年)
貨物量の増加に伴い、当時の東京の東海道本線の貨物拠点駅であった汐留駅や品川駅の負担を分散するために、東海道本線貨物支線の品鶴線開通と同時に営業を開始。車両基地も置かれ、東海道本線と東北本線や中央本線を結ぶ貨物列車の中継点(入換作業が行われた)として、貨物列車のシステムチェンジが行われる1984年(昭和59年)まで、半世紀以上に渡り、大宮操車場や田端操車場などとともに、東京周辺の主要な操車場として機能した。
南武線との連絡に関しては現在は1951年(昭和26年)に敷設された尻手短絡線が使用されているが、操車場の開業当初は南武鉄道が向河原駅から短絡線を建設、操車場に隣接して市ノ坪駅を設置して貨物の授受を始めた(南武鉄道国有化時に市ノ坪駅は新鶴見操車場に統合)。1973年に向河原駅からの短絡線が廃止され、同時にそれまで営業キロ設定のなかった尻手短絡線が正式に営業路線として開業して現在に至っている。
年表
1929年(昭和4年)8月21日:国鉄新鶴見操車場開設。