新高速乗合バス
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ツアーバスとは、日本において旅行会社貸切バスを借り上げて催行する、人員の移動のみを目的とする募集型企画旅行商品、またはその目的で用いられる貸切バスをいう。

国土交通省による定義では、高速道路高速自動車国道または自動車専用道路)を経由する「2地点間の移動のみを主たる目的とする募集型企画旅行」として運行される貸切バスを「高速ツアーバス」としていた[1]

この項目においては、貸切バスを用いた募集型企画旅行商品のうち、旅行参加者の移動のみを提供する「高速ツアーバス」または「都市間ツアーバス」と呼ばれる商品について記述する。貸切バスで移動しながら観光地への入場や食事買物宿泊等を伴うパッケージツアーとしての「バスツアー」や、バス以外の交通機関を経路の一部に組み込んだ旅行商品については原則として取り扱わない。
概要バスのドア付近に貼られたツアー主催者と運行会社名の表示

道路運送法に基づき乗合バス事業者が運行する長距離路線バス(高速乗合バス、いわゆる「高速バス」)とは異なり、旅行業法に基づき旅行会社等の主催者が貸切バス事業者が運行する観光バスを借り上げて、募集型企画旅行の形態で旅行参加者(=乗客)を募集する形態をとる。

道路運送法第21条では、貸切バス事業者(一般貸切旅客自動車運送事業者)が乗合旅客運送を行えるのは、災害時など特別な場合に限られることを定めている。このためツアーバスにおいては、代金はあくまでも「運賃」ではなく「旅行代金」として収受され、貸切バス事業者自らが旅行会社として募集型企画旅行の主催者(または受託者)となる場合以外は、参加者がバス事業者に代金を直接支払う事はなく、主催する旅行会社の営業窓口または、集合場所等に駐在する証明書(外務員証)を携帯した旅行会社の外務員[注釈 1]に支払うことになる。

貸切バスで観光地などを巡る一般的な団体旅行バスツアー)と大きく異なる点として、貸切バス事業者の職員である車掌バスガイドや、旅行会社の職員である添乗員は同乗しない、出発から到着までの間は運送(輸送)以外の役務提供は行われない[注釈 2]食事の提供、観光施設の入場料や宿泊・休憩にかかる料金は旅行代金に含まれない。

2000年のバス事業に関する規制緩和により急速に普及し数多く運行されていたのが、高速ツアーバス(こうそくツアーバス)あるいは都市間ツアーバス(としかんツアーバス)と称される、特定の都市(例:東京 - 大阪)間を高速道路経由の夜行便(一部は昼行便)で結ぶ形態のものである。

利用者側から見た移動手段としては、高速路線バスとツアーバスでは車両の内装や価格帯に大きな差異が見られないため、一般消費者には違いがわかりにくく、その区別を意識せず利用しがちであった。また旅行サイトやバス予約サイト、マスメディアなどでも高速路線バスとツアーバスを一括りにして扱い、ツアーバスを含めて「高速バス」と紹介する例が多数見られた。

一例として、楽天トラベルでは高速路線バスと高速ツアーバスを総合して「高速バス予約」と表記して予約を受け付けていた(2013年の新高速乗合バス制度への移行後は「高速バス・バスツアー」の表記に変更された[4])。また『日経トレンディ2011年9月号の掲載記事「出張も旅行も“安くて贅沢”が常識!? 「超豪華高速バス」の正体を探る!」[5] では、高速路線バスである弘南バスの「津軽号」とともに、海部観光イルカ交通のツアーバスも含めて「(広義の)高速バス」として扱う事例などが見られた。

しかし、高速ツアーバスは道路運送法に基づき認可を受けた乗合バスではないため、料金(運賃に相当)や定時運行運転手の連続乗務時間と交代回数、車両運用などに法的な規定が及ばないことをはじめ、バスターミナルバス停留所を使えないため、大型バス対応の駐車場を使用するか路上駐車となる、出先で点検整備を行う車庫(営業所)がない場合が多い、高速道路の通行料金区分が異なる[注釈 3] など、実際には異なる部分が多数存在した。

この形態による都市間ツアーバスについては、参入事業者や設定コースの増大につれ、既存の乗合バス制度との法的整合性を中心にかねがね議論の的になっていた。国土交通省2012年4月に高速ツアーバスと高速乗合バスを一本化する方針を示した直後、2012年4月29日群馬県関越自動車道高速バス居眠り運転事故が発生し、この事故の原因が高速夜行ツアーバスでの運転手の過労によるものとされたことから、高速ツアーバス規制と乗合バスへの一本化への動きが急速に進んだ。

2013年7月31日夜から「新高速乗合バス制度」が施行され[6]、2013年7月末をもって募集型企画旅行としての高速ツアーバスを運行することはできなくなった。この制度改革により、ツアーバスを運行していた大手業者は体制を整備し、2013年8月から乗合バス事業の認可を得て「新高速乗合バス」に転換したが、実際には企画・催行していた旅行会社自ら乗合バス事業の許可を得てバスを保有し運行するのではなく、委託先の貸切バス事業者に乗合バス事業の許可を取得させるか(旅行会社のグループ会社の場合が多い)、合弁で運行を行う乗合バス事業者を設立した上で、企画・催行していた旅行会社は、委託先事業者が運行する路線バスとなった座席を引き続き販売し、乗車時の案内を行う形態に移行したケースがほとんどであった。また一方で、「新高速乗合バス」に転換する体力のない中小業者のほとんどはツアーバスからの撤退を余儀なくされた。
歴史

この節においては、貸切免許による乗合運送の特別許可から、募集型企画旅行商品としてのツアーバスに至る一連の歴史について扱う。
規制緩和以前
帰省バスの誕生

旅行商品の形態によるバスでの旅客輸送としては、お盆年末年始を中心に帰省者を主な利用対象として大都市と地方都市の間で運行されていた「帰省バス」と称するものがある。

「帰省バス」という用語は1942年頃には詩集『ホトトギス』にも登場しているが[7]、大阪府に本拠を置く中央交通1961年に日本初の帰省バスの運行を開始したと自称している[8]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}相鉄バスでも1963年の帰省バスの風景が紹介されている。[要出典]西鉄バスでも1962年12月28日に福岡 - 大阪間で帰省バスの運行を開始したとしている[9]。中には名古屋 - 鹿児島間や大阪 - 鹿児島間のように24時間以上かけて運行するバスもあり、近畿日本鉄道(現:近鉄バス)が運行していたする大阪 - 鹿児島間は26時間を要し、名古屋近鉄バス(現:名阪近鉄バス)が運行していた名古屋 - 鹿児島間は所要時間の表記がないが、名神高速道路が開通していた当時の状況から29時間程度を要していたとみられる[10]

当時の帰省バスは、主に都市部の大手私鉄のバス部門や私鉄系バス事業者が、グループ内の旅行会社を通じて企画し運行されることが多く、自社の路線バスや鉄道施設、鉄道車両内などで広告していた。当時は東名高速道路名神高速道路以外の高速道路はまだ開通しておらず、ほとんどは一般国道での運行で所要時間もかかったが、座席が必ず確保されることもあって人気は高かった。これら帰省バスの多くは、1980年代以降には高速バスの需要調査も兼ねることにつながり、石見銀山号など多客期の帰省バスの実績から定期運行に発展した例も多い。

一例として、1980年の年末から新宿 - 飯田間で帰省バスを運行していた信南交通が挙げられる。盆期・年末年始には4台連行で運行するなど好調で、後の中央高速バス伊那・飯田線の運行開始につながった。一時は倒産寸前とまで言われた同社が単年度黒字になるまで押し上げる要因となった好例である。詳細は「中央高速バス#伊那・飯田線 - 国鉄からの横槍」を参照

現在は、高速乗合バス網の発達、高速ツアーバスの普及、法改正などにより、募集型企画旅行商品として季節的に臨時催行される程度である。また、既存の路線免許を組み合わせるなどして路線認可を得た上で、期間限定の高速路線バスとして運行する例もあり、一例として西鉄高速バス大分バスの「日豊海岸 くろしお号」、中国ジェイアールバス防長交通の「宇部・山口・広島 - 東京線」などが挙げられる。


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