本項では、新選組に所属した隊士のうち、戊辰戦争においての戦死者及び脱走者について列挙する。
戊辰戦争とは、1868年1月3日から1869年5月18日まで、長州や薩摩の官軍と、新選組を含む旧幕府軍が戦った戦いの事である。
新選組は鳥羽・伏見の戦い直前は148名を抱える大所帯であったが、江戸に帰還した時には116名まで人数を減らし、仙台に着く頃には48名に落ち込んだ。
鳥羽・伏見の戦い[ソースを編集]
宮川数馬(伏見で戦死)
和田重郎(伏見で戦死)
池田小三郎(伏見で戦死、淀もしくは甲州板戸で戦死とも)
吉村貫一郎(伏見で戦死、脱走とも)
正木織之助(戦いの直前に脱走)
中村吉六(戦いの直前に脱走)
森庵六之助(伏見で脱走、会津如来堂[要曖昧さ回避]で戦死とも)
淀千両松の戦い[ソースを編集]
井上源三郎(淀千両松で戦死)
今井祐次郎(淀千両松で戦死)
諏訪市二郎(淀千両松で戦死)
桜井数馬(淀千両松で戦死)
小林峰太郎(淀で戦死、八幡とも)
真田四目之進(淀で戦死、伏見とも)
鈴木直人(淀で戦死、伏見とも)
古川小二郎(淀で戦死、伏見とも)
水口市松(淀で戦死、伏見とも)
田村大三郎(淀で戦死)
三品一郎(淀で戦死)
林小五郎(淀で戦死)
逸見勝三郎(淀で戦死)
本多太一郎(淀で脱走)
玉川将之助(淀千両松で脱走)
橋本の戦い[ソースを編集]
青柳牧太夫(橋本で戦死)
宿院良蔵(橋本で戦死)
坂本平三(橋本で戦死)
向館登(橋本で戦死)
大阪敗走[ソースを編集]
村上清(自刃)
三浦常次郎(病死)
鹿内主税(脱走)
辛島昇司(脱走)
船中[ソースを編集]
山崎丞(5日に淀千両松で負傷、13日に病死(異説あり))
江戸脱走者[ソースを編集]
市村辰之助(脱走後、1872年死亡)
斎藤清一郎(脱走後の消息は不明)
大石鍬次郎(脱走後、12月頃捕縛。1870年に処刑)
足立麟五郎
甘地一撰(淀で戦死とも言われている)
荒木信太郎
安藤勇次郎(脱走ではなく病死)
一色善之介
井上泰助(許可を得て脱退。日野に帰る。)
永倉新八(近藤と意見が合わず脱退。靖兵隊を結成し官軍に抵抗を続ける。)
原田左之助(靖兵隊に入隊するも突如脱退し彰義隊に入隊し上野戦争で戦死)
林信太郎(靖兵隊に入隊、その後久留米藩士に討たれる。)
前野五郎(靖兵隊に入隊)
中条常八郎(靖兵隊に入隊)
松本喜次郎(靖兵隊に入隊)
甲州・勝沼の戦い[ソースを編集]
加賀爪勝之進(3月6日に勝沼で戦死)
上原栄作(3月6日に勝沼で戦死)
岩崎一郎(3月6日に勝沼で脱走)
流山[ソースを編集]
近藤勇(4月11日に官軍に捕縛される。のち25日に斬首)
白河口の戦い[ソースを編集]
菊池央(閏4月25日に戦死)
伊藤鉄五郎(5月1日に戦死)
横山鍋二郎(5月1日に戦死)
母成峠の戦い[ソースを編集]
漢一郎(8月21日に戦死)
加藤定吉(8月21日に戦死)
木下巌(8月21日に戦死)
小堀誠一郎(8月21日に戦死)
鈴木練三郎(8月21日に戦死)
千田兵衛(8月21日に戦死)
近藤芳助(8月21日に新選組とはぐれる)
如来堂の戦い[ソースを編集]
斎藤一/山口二郎(脱出)
久米部正親(脱出後、仙台にて政府軍に降伏)
清水卯吉(戦死)
高橋渡(戦死)
高橋文次郎(戦死)
吉田俊太郎(脱出)
新井破摩男(脱出とも戦死とも)
池田七三郎(脱出)
小幡三郎(戦死)
志村武蔵(脱出)
河合鉄五郎(脱出)
仙台降伏[ソースを編集]