新選組リアン
出身地 日本
ジャンルJ-POP
活動期間2009年 - 2014年
レーベルYOSHIMOTO R and C
事務所よしもとクリエイティブ・エージェンシー
公式サイト ⇒よしもとミュージック
メンバー森公平
國定拓弥
関義哉
榊原徹士
山口純
新選組リアン(しんせんぐみリアン)は、男性アイドル音楽ユニット。日本テレビ系列で放送されているバラエティ番組『人生が変わる1分間の深イイ話』から生まれた。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。
「新撰組リアン」と誤表記されることが多いが、正しくは「新選組リアン」である。 2009年、『人生が変わる1分間の深イイ話』で当時司会を務めていた島田紳助が地元である京都の観光誘致を目的として、京都市と協同してアイドル開発プロジェクト「平成の新選組プロジェクト」をスタート。自らプロデューサーとして男性アイドルユニットをデビューさせるべくオーディションを行う。オーディションの様子は番組内で伝えられ、7月27日放送分の番組内で京都市及び近郊の大学生2518人の応募者の中から選ばれた[1][2]5人が発表された。グループ名の「リアン」はフランス語で「絆」を意味する。しかし、メンバー全員がその意味を紳助に教えてもらうまで知らなかった[3]。 同年10月14日にシングル『男道』でCDデビュー。オリコン3位を記録した[4]。デビュー前後は『深イイ話』のほか、紳助が司会を務めていた『行列のできる法律相談所』、『クイズ!ヘキサゴンII』、『オールスター感謝祭』やその他の多くのテレビ・ラジオ番組や学園祭に出演し多忙を極め、2009年度は森公平以外のメンバー4名は大学を原級留置をしている。森は大学側よりニンテンドーDSとソフトを渡され一面をクリアすると大学側にメールをし、単位を取得した[5]。 『ヘキサゴン』ではヘキサゴンコンサート2009以降、歌唱パートやファミリーコンサートでの出演の機会が増え、ファミリーアルバムにも参加した。 京都市の協力を得るために「京都学生祭典」への参加や月1回の京都市内のパトロール参加などを条件として提示されていたが[6]、2010年に入った頃から既に京都に根付いた活動は少なくなっていた。また、メンバーも皆生活の基盤を東京に置くようになった。 「メンバー最年長」という理由で森がリーダーを務めていたが、2011年1月に関義哉に交代となった。 2011年8月23日にグループ生みの親でありプロデューサーであった紳助が芸能界を引退を発表、同日付で引退した。1週間後に取材を通じて「解散は考えていない」と明言し、紳助に対し「オーディションのころからずっといつも僕たちを支えて下さって、とても感謝しています」と述べた[7]。以降はスタッフを一新してセルフプロデュースに移行し[8]、ライブやイベント出演、CD制作など音楽活動を続ける。その頃紳助がいなくなり全員がこれから進む道を見失っていたが、これもチャンスだと思い、残された自分たちで曲を作るようになったという。 2012年7月、アキヤマ・オフィスからよしもとクリエイティブ・エージェンシーに移籍。アキヤマ・オフィスから契約更新は出来ないと通達され、引退していた紳助に相談した所、吉本興業に紳助が「面倒見てやってくれ」と口添えし、よしもとに所属する事となった[9]。よしもと祇園花月でのトークライブや、同年12月によしもとが設立したライブスペース「シダックスよしもとannex」のレギュラー出演者になるなど[10][11]、京都で活動する機会が増えた。 2014年8月には、同年10月をもって「新選組リアン」を解散することを発表した[12]。
概要
メンバー
年齢順
森公平(もり こうへい、 (1988-04-12) 1988年4月12日(36歳) - )
大阪府枚方市出身。大阪国際大学出身。初代リーダー。サーターアンダギーのメンバーとしても活動していたが、2013年に解散。
國定拓弥(くにさだ ひろや、 (1988-07-08) 1988年7月8日(35歳) - )
兵庫県出身。大手前大学出身。
関義哉(せき よしや、 (1989-04-07) 1989年4月7日(35歳) - )
京都府京都市出身。滋賀大学を2013年に卒業。2代目リーダー。『紳助社長のプロデュース大作戦!』では、ビーチボーイズの責任者としても活動したこともある。
榊原徹士(さかきばら てつじ、 (1989-12-06) 1989年12月6日(34歳) - )
愛知県豊田市出身。京都外国語大学出身。『ヘキサゴンII』発ユニット・スザンヌ×スザンぬの「黒スザンぬ」を担当(声は大沢あかねが担当)したこともある。