この項目では、中華人民共和国の行政区分について説明しています。ウイグル全般については「ウイグル」を、トルキスタン東部の地域概念については「東トルキスタン」をご覧ください。
新疆ウイグル自治区
(新疆維吾爾自治区)
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略称: 新 (.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: X?n)
簡体字新疆
繁体字新疆
?音X?nji?ng
カタカナ転記シンヂィァン
自治区首府ウルムチ市
最大都市ウルムチ市
区委書記馬興瑞
自治区主席エルキン・トゥニヤズ(代行、元自治区副主席)
面積1,664,897 km2 (1位)
人口 (2020年)
- 人口密度25,852,345 人 (21位)
15 人/km2 (29位
新疆ウイグル自治区(しんきょうウイグルじちく、ウイグル語: ?????? ?????? ???????? ?????? / Shinjang Uyghur Aptonom Rayoni / Шин?а? Уй?ур автоном райони、中国語: 新疆?吾?自治区、?音: X?nji?ng Weiwu?r zizhiq?)は、中華人民共和国の北西部に位置する自治区である。
東アジアと中央アジアが交わる自治区であり、面積は約166万km2で省または自治区の中で最大で、また世界で8番目に大きな国家行政区画でもある。
人口は2020年国勢調査によると約2,585万人で[1]、ウイグル族が45%、漢民族が41%を占める[2]。 新疆ウイグル自治区は、南はチベット自治区、東部は甘粛省、青海省と接しており、国境は、北東がモンゴル、北はロシア、北西はカザフスタン、西はキルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、南西はインドと接する。国境の大部分は、標高数千米の険しいカラコルム山脈・崑崙山脈・天山山脈が占めている。中国が統治するアクサイチン地域とカラコルム回廊は、インドが領有権を主張している。シルクロードの最も有名なルートは、新疆ウイグル自治区の東から北西の境界までを通っている。 領土内には、テュルク系のウイグル人、カザフ人、キルギス人、漢族、チベット族、回族、タジク人、モンゴル族、ロシア人、シベ族など、多くの民族が暮らしている[3]。新疆には、十数個の少数民族の自治県や郡がある。古い英語の参考文献では、この地域を中国のトルキスタン[4]、東トルケスタン[5] 、東トルキスタン[6]と呼ぶことが多い。新疆は、山脈によって北のジュンガリア盆地と南のタリム盆地に分かれている。新疆の土地面積のうち、人間の居住に適しているのは約9.7%に過ぎない[7]。 少なくとも2,500年の歴史を持つ新疆ウイグル自治区では、多くの人々や帝国がこの地域のすべて、または一部を支配しようと競い合ってきた。18世紀には清朝の支配下に置かれ、その後、中華民国政府に取って代わられた。1949年の中国内戦以降は、中華人民共和国の一部となっている。1954年、ソビエト連邦に対する国境防衛を強化するとともに、兵士を地域に定住させることで地域経済の振興を図るため、新疆生産建設兵団 (XPCC) が設立された。1955年、民族の宗教や権利の平等性を保護するために新疆は省から自治区へと行政が変更された。[8]ここ数十年、新疆では豊富な石油・鉱物資源が発見されており、現在は中国最大の天然ガス産出地となっている。1990年代から2010年代にかけて、他の宗教を排外する宗教原理主義的な東トルキスタン独立運動、分離独立紛争、イスラーム過激派の影響により、この地域では時折テロが発生したり、分離独立派と政府軍が衝突するなどの不安が生じている[9]。これらの内紛を受けて、これ以上の被害が拡大される前に中国政府はこの地域に強制収容所(職業訓練センター)を設置し、過激イスラム教徒を思想改造しようとした[10][11][12][13][14]。施設内では虐殺や拷問が施されているとされており、これらの措置に対して西側諸国ではウイグル人大量虐殺として騒がれている。[15]。 本来中国には時差が設定されていないが、新疆では非公式に北京時間 (UTC+8) より2時間遅れの新疆時間 (UTC+6) が使われている[16]。 古代中国から西域と呼ばれたこの地域は中央アジアや中国との政治的・経済的な繋がりを古くから有し、オアシス都市国家が繁栄し、漢代と唐代には、中国の直接支配下に置かれた時期もあった。 隋の煬帝の大業5年(609年)、煬帝が自ら隋軍を指揮して吐谷渾を征服、現在の新疆南東部を実効支配し始めた。
概要
歴史詳細は「新疆の歴史」を参照
清朝以前