新猿楽記
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『新猿楽記』(しんさるがくき)は平安時代中期の学者藤原明衡による作品。ある晩京の猿楽見物に訪れた家族の記事に仮託して当時の世相・職業・芸能・文物などを列挙していった物尽くし・職人尽くし風の書物である。その内容から往来物の祖ともいわれる。
成立

正確な成立時期は不明である。通説では作者藤原明衡の晩年である天喜年間(1053年 - 1058年)あるいは康平年間(1058年 - 1065年)とするが、長元元年(1028年)とする説もある。いずれの説も推測の域を出ない。冒頭の作者署名に右京大夫と官名が記されており、明衡が右京大夫に任官した記録は他にないが、事実とすればこれが彼の極官であったことから、晩年の作であろうとする見解が多いだけである。
あらすじ

作者はある晩京の猿楽見物をする。それは今までになく見事なものであった、として猿楽のジャンルを列挙し、また名人の批評を行う。猿楽見物に参集した人々の中で特筆すべきは右衛門尉(うえもんのじょう)一家であった。右衛門尉の3人の妻、16人の娘(あるいはその夫)、9人の息子の描写が始まる(以下、各段の紹介)。
猿楽

猿楽の中でも大笑いをさそうものとして、以下の項目が列挙されている。

呪師
(のろんじ):剣を振り回し、走り回る芸[1]

侏儒舞(ひきうとまい):小人による舞

田楽(でんがく):田植えの際に行う田?(たまい)と関連している。永長年間(1096-1097年)に平安京で大流行した。

傀儡子(かいらいし、くぐつし):狩猟を生業とし、漂泊した芸能集団。人形遣いだけでなく、男は剣術芸や奇術も行った。女は歌謡や売春を行っていた[2]

唐術(とうじゅつ):唐よりもたらされた奇術や幻術。

品玉(しなだま):品物を現代のジャグリングのように飛ばす芸。

輪鼓(りうご):鼓の形をしたもの(中央部がくびれた筒状のもの)を、二本の棒に結びつけた紐の上で回しながら転がす芸。

八玉(やつだま):品玉のうち、玉を飛ばす芸。

独相撲(ひとりすまい):本来二人で行う相撲を一人で演ずる芸。

独双六:人形を使って双六をする芸。

無骨(ほねなし):諸説あるが、骨のないように軽業をする芸か[3]

有骨(ほねあり):荘重な舞という説[4]、または隆々とした筋骨や怪力を見せる芸という説がある[5]

以下は対句となっていて、両極端な役や対で物語を構成している芸を列挙する。

延動大領の腰支(えんどうたいりょうのこしはせ):腰支とは腰つきのことで、郡の長である大領のもったいぶった歩き振りをまねたものという。なお、「延動」を独立した芸能のひとつとして捉える説もある。

?漉舎人の足仕(?は虫偏に「長」、えびすきとねりのあしつかい):川に入ってエビを取る舎人(小者)のこっけいな足取りをまねたものという[6]

氷上専当の取袴(ひかみせんどうのとりはかま):氷上は丹波国氷上郡氷上(現兵庫県丹波市)、専当は寺院の事務係。その事務係が袴を持ち上げて太股をあらわにしている様子を表現する芸。

山背大御の指扇(やましろおおいごのさしおうぎ):大御は大姉御のこと、その大姉御が取袴の様子を見て恥ずかしげに扇をかざしている様子。

琵琶法師の物語:琵琶法師の様子を滑稽に真似る芸

千秋万歳の酒?(せんずまんざいのさかほかい):千秋万歳は、新春に各戸を廻って寿詞を唱え、祝儀をもらう雑芸の者。酒?はもともと酒宴で互いに祝言を唱えること。ここでは新酒を醸す際の祝いのはやしをまねたものかという。

飽腹鼓の胸骨(あいはらつづみのむなほね):満腹して腹鼓を打つ際の胸骨の動きを面白く見せたものかという。

蟷?舞の頸筋(いもじりまいのくびすじ):蟷?はかまきりのこと。かまきりが鎌をもたげて首を振る様子を真似たものという。

福広聖の袈裟求め(ふくこうひじりのけさもとめ)

妙高尼の繦?乞い(みょうこうあまのむつきこい)

勾当の面現(けいこうとうのひたおもて)

職事の皮笛(そうしきじのかわぶえ)

舞の翁体(さかんまいのおきなすがた)

巫遊の気装貌(かんなぎあそびのけしょうがお)

京童の虚左礼(きょうわらわのそらざれ)

東人の初京上り(あずまうとのういきょうのぼり)

猿楽の名人

名人についての論評を行う。この段も対になっている。また批評の形式は古今和歌集真名序パロディである。

百太:次の仁南と共に、最も賞されている。神妙の域に達し、古今の芸人中抜きん出ている(ただしこの表現は真名序の柿本人麻呂評を流用)[7]

仁南:常に猿楽の場に登場し、衆人に絶賛されている[8]

以下の人物については他に出典がなく不明である。

定縁

形能

県井戸の先生

世尊寺の堂達

坂上菊正

還橋徳高

大原菊武

小野福丸

右衛門尉一家の描写.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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第一の本妻

60歳(夫である右衛門尉は40歳)。右衛門尉は若い頃、妻の実家が財産家というだけで結婚してしまったが、本来好色家であるため、現在では年長の妻を娶ったことを後悔している。髪の毛は真っ白、顔のしわは海の波のよう、歯は抜け落ち、乳房は牛のふぐりのように垂れている。それでも化粧をし、夫が見向きもしないことを恨んでいる。いい加減出家して尼にでもなればいいのに、いまだに夫に対して嫉妬し、毒蛇や悪鬼のようである。夫の愛を得るために、以下の神仏を信仰している。

聖天:大聖歓喜天のこと。夫婦和合の神とされた。

道祖神(さえのかみ、ふなどのかみ):本来村境にあって外敵や疫病を防ぐ神だが、男女関係・生殖をも司った[9]

野干坂の伊賀専の男祭(きつねざかのいがとうめのおまつり):野干坂は山城国愛宕郡松が崎村(現京都市左京区)の西から北岩倉に抜ける路[10]。伊賀専は男女の仲を取り持つ神として祀られた老狐。その狐の、男に逢うための祭で、アワビ(女陰)を叩いて踊った。

稲荷山の阿小町の愛の法:伏見稲荷大社に祀られた稲荷明神の眷属となった狐[11]に、男の愛を得るための祈りを、鰹節陰茎勃起したものに見立てて振り回し行った。

五条の道祖:京都五条にあった道祖神社。大火で焼失した後に、現在の松原道祖神社として復興。しとぎ餅(神に奉る餅)をささげた。

東寺の夜叉:東寺にあった金剛夜叉明王、聖天・?吉尼天(荼吉尼天と同じ、だきにてん)・弁才天の三面六臂像。この神も恋愛を司るとされた。この神に雑炊をささげている。

以上のように、第一の本妻に対しては、好色な老女として厳しく批判されているが、その分生き生きとした描写になっている。
次の妻

右衛門尉と同年齢、特に美人というわけでもないが、心ばえはよく、夫に仕えている。家事一切に秀でているが、中でも糸つむぎ、機織り、染色、裁縫などは褒め足りないくらいすばらしい。彼女が用意する装束として、以下のものが列挙される。

宿装束(とのいしょうぞく):日常用の装束。

烏帽子:日常的に用いる帽子。

狩衣:もともと狩猟用に用いた平服。

(はかま)

(あわせ):裏地のある衣服。

(あこめ):表衣と下着の間に着る服。

褂(うちき):表衣の下に着る服。

(ふすま):長方形の袷で寝具として用いた。

単衣(ひとえ):裏地のない衣服。

差貫(さしぬき):袴の裾に紐を通し、着用時にくるぶしでくくれるようにしたもの。

水干(すいかん):狩衣の短いもので、水で濡れてもよいような粗末な服。


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