新潟県立長岡高等学校
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新潟県立長岡高等学校
正門(2018年6月)
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長岡洋學校

新潟學校第一分校

私立長岡學校

新潟縣立長岡中學校

国公私立の別公立学校
設置者新潟県
校訓

剛健質撲(ごうけんしつぼく)

豪爽快活(ごうそうかいかつ)

和而不同(わしてどうぜず)

設立年月日1872年12月23日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科

普通科

理数科

学科内専門コース

メディカルコース

サイエンスコース

学校コードD115220200015
高校コード15135B
所在地940-0041
新潟県長岡市学校町3丁目14-1
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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新潟県立長岡高等学校(にいがたけんりつ ながおかこうとうがっこう)は、新潟県長岡市にある高等学校である。略称は長高(ちょうこう)。

長岡地区の高等学校で唯一スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されている。校舎の正門は国の登録有形文化財(建造物)に登録されている。
概要校章学校表示

1872年創立の長岡洋學校を起源とする。越後長岡藩は慶應義塾の三藩として慶應義塾を支えていた経過があり、三島億二郎の尽力により、かつてより親交があった福沢諭吉より藤野善蔵(後に慶應義塾塾長)を招聘して開学した。長岡洋学校は城泉太郎(徳島慶應義塾校長[1])、三島徳蔵を校長に迎えるなど慶應義塾との繋がりが深かった[2]。その後、幾多の改称と変遷を経て、1948年に現在の名称となった。

上級学校への進学に対応した授業カリキュラムが編成されており、1時間あたりの授業時間は55分、月曜日と木曜日に至っては7時間授業の実施となっている[3]。(※木曜日は理数科のみ実施)

中越地域ターミナル駅である長岡駅から程近く、学区制が撤廃された現在は中越地方全域から公共交通機関を利用して通学する生徒が多い。

元々は制服のある学校であったが、1972年の制服撤廃宣言を経て私服校となった[4]

文武両道を志しており、4年制大学への進学率は国公立大学を中心に通年で高い。

1990年代に理数科が設置されてからしばらくの間は最も学校規模の大きかった時期で、1学年普通科10学級と理数科1学級の計11学級を擁しており、教室の不足を補うために生徒玄関近くにプレハブ2階建ての教室が設置されていた。(2006年撤去)
校歌

『新潟県立長岡高等学校第一校歌』(旧制長岡中学時代に制定) - 作詞:本富安四郎・作曲:植村クニ

『新潟県立長岡高等学校第二校歌』(創立70周年を記念し、戦前の1941年に制定。終戦後の1951年に作詞者に依頼し歌詞の一部を改訂) - 作詞:
堀口大學・作曲:深井史郎

1876年12月1日の長岡学校の開校式に臨んだ新潟県令永山盛輝による和歌「『長岡中学校の開校を祝て』長岡の文の林に生立る わか木は国のはしらとぞなれ」が、第二校歌の歌詞となっている[5]

この校歌は起源が同じ阪之上小学校の校歌「文の林に生い立てる 若木は国のはしらぞと」と類似している[6]
特色

2007年度にコース制導入に伴い理数科を2学級設置とし、2011年度より普通科は6学級設置となった。普通科は2年次より文系・理系に分かれる。

新潟県内の医師不足を懸念する県教育委員会の方針[7][8] により、理数科では2年次から「メディカルコース」と呼ばれる国公立・私立大学の医薬系を目指す専攻コースが設置されている。(同様の動きは県立新潟高校・高田高校・三条高校でもみられる[7][8][9]

理数科のメディカルコースでは長岡市医師会の全面的協力のもと、1年次に5回・2年次に3回、医師と看護師による「医療講演会」を実施しており、1年次の6月 - 8月には病院見学会も実施している[7]

同科のサイエンスコースでは長岡市内に本部を置く国立長岡技術科学大学と技能連携をし、発展した授業が展開されている[3]
設置課程

全日制課程

普通科(6学級設置)

文系

理系



全日制課程

理数科(設置:1995年度・2学級設置)

メディカルコース(医歯学系・設置:2007年度)

サイエンスコース(技術系・設置:2007年度)



廃止された課程

定時制課程(廃止:1986年度)

学校行事

4月 - 入学式・始業式・新入生オリエンテーション(1年)・遠足

5月 - 中間考査

6月 - 体育祭・陸上部会(クラス対抗)

7月 - 期末考査・第一部会(クラス対抗のスポーツ大会)

8月 - 和同祭(文化祭)・理数科研修旅行(2年)

10月 - 中間考査、普通科キャリアデザインツアー

12月 - 期末考査・第二部会(クラス対抗のスポーツ大会・3年除く)

2月 - 学校スキー(3年除く)

3月 - 1・2年学年末考査・卒業証書授与式・終業式

※修学旅行は1977年度以降実施されていない(理由は不明)。
生徒会活動

生徒会は「和同会」(わどうかい)と称し、校訓の『和而不同』(わしてどうぜず)を旨とし活動している[3]。和同会は井上円了により寄宿生の会として発足している。慶應義塾の影響を受け三田演説会に倣っていた。城泉太郎が教員に赴任した頃、自由民権運動が盛んな時代には、同じく教員だった橋本圭三郎とともに演説会を主催するなどの活動を行っていた。そのため自由民権運動団体の一つと扱われる。卒業生が各地域での同窓会も○○和同会と称しているため、和同会イコール生徒会ではないことに注意を要する。

総務(生徒会執行部)

会計局

書記局

新聞編集委員会

放送委員会

体育祭実行委員会

体育行事実行委員会

和同祭実行委員会

応援団

ギャラリー

校門の登録有形文化財のプレート

長会館

生徒玄関

校舎

校舎案内図

国漢学校を描いた絵図。『懐旧雑誌』(小川當知・1879))より。

絵葉書『新潟県立長岡中学校 旧運動場より見たる校舎の全景』(1927年)。登録有形文化財の正門も見える。

沿革


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