新潟県立新潟商業高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度54分55.6秒 東経139度1分39.3秒 / 北緯37.915444度 東経139.027583度 / 37.915444; 139.027583
新潟県立新潟商業高等学校(にいがたけんりつ にいがたしょうぎょうこうとうがっこう)は、新潟県新潟市中央区白山浦に位置する県立商業高等学校であり、現存する日本国内の商業高校としては、横浜商業高校、神戸商業高校に次いで3番目に古い歴史を持つ学校である。通称「新商(しんしょう)」。 同校の創立は1883年(明治16年)開校の北越興商会付属新潟商業学校に遡り、全国でも6番目(三菱商業学校(実質的には慶應義塾の分校であり、同校開校時は明治義塾と改称していた)も含めれば7番目)に開校した商業学校であり、現存する商業高校としては3番目に古い(横浜商業高校、神戸商業高校に次ぐ)学校である。北越興商会は、当時新潟新聞の主筆を務めていた尾崎行雄が主唱者となり、新潟の商業近代化を目指して1881年に結成された団体で、後の新潟商業会議所、現在の新潟商工会議所の源流となった組織である。商業学校
概要
経緯
年表
1881年2月- 尾崎行雄が主唱し、北越興商会が結成される。
1883年11月 - 北越興商会付属新潟商業学校として、新潟市中央区礎町(現・クロスパル新潟の地)に開校。
1885年4月 - 北越興商会解散により、維持費困難をきたす。
1887年3月 - 公立に移管し、新潟区立商業学校となる。
1889年4月 - 市制施行により新潟市立商業学校となる。
1890年1月 - 宇尾野藤八校長(第5代)就任。学校再建と発展のため、教育体制の改革と校舎整備計画に着手。
1899年5月 - 新潟市中央区学校町2番町(新潟師範学校跡地 現・新潟大学歯学部付近とされる)の新校舎(南山校舎)に移転。礎町の跡地には新潟市立礎小学校が移転する。
1903年4月 - 県立に移管し新潟県立商業学校となる。
1905年4月 - 二蛇両翼一星に学校のイニシャル「N・C」を配した校章を制定し、帽章とした
1906年4月 - 新潟県立新潟商業学校と改称。
1910年4月 - 商船科を設置し、新潟県立新潟商業商船学校となる。
1911年12月 - 新潟市中央区白山浦2丁目(現在地)の新校舎(白山浦初代校舎)に移転。
1915年4月 - 商船科を廃止して新潟県立新潟商業学校となる。
1922年3月 - 校歌制定式挙行。
1933年10月 - 籠球部全国制覇。
1934年10月 - 庭球部、籠球部全国制覇。
1937年10月 - 柔道部全国制覇。
1939年9月 - 籠球部全国制覇。
1944年4月 - 戦時非常措置による工業学校転換で、新潟県立第二新潟工業学校となる。
1946年2月 - 原因不明の失火により本館はじめ校舎(白山浦初代校舎)の殆どが焼失。
1946年4月 - 新潟県立新潟商業学校に復す。
1948年4月 - 学制改革により新潟県立新潟商業高等学校となる。男女共学を実施し、6名の女子生徒が入学する。
1948年6月 - 定時制課程(中心校)を設置する。
1964年4月 - 巻農業高校内野分校(定時制課程)を同校の所属とする。
1964年6月 - 新潟地震により白山浦2代目校舎罹災。
1967年4月 - 同校中心校の定時制課程などを統合して新潟県立船江高等学校が新設開校。
1967年10月 - 新潟地震災害校舎復旧落成式挙行。(白山浦3代目校舎)
1970年3月 - 中心校の定時制課程が閉校となる。
1978年3月 - 定時制内野分校が閉校となる。
1986年4月 - 情報処理科を開設。
1996年4月 - 国際教養科を開設。
2005年4月 - 新年度募集より商業科・会計科を総合ビジネス科とする。