株式会社 新潟中央銀行
The Niigata Chuo Bank,Limited
ATMコーナー(五泉市)
種類株式会社
市場情報東証1部 8538
株式会社 新潟中央銀行(にいがたちゅうおうぎんこう、英称:The Niigata Chuo Bank,Limited)は、かつて新潟県に存在した第二地方銀行である。1999年(平成11年)10月2日に経営破綻した。 新潟相互銀行の普通銀行転換に伴い、1989年(平成元年)2月1日に発足。本店は新潟県新潟市上大川前通七番町1176番地にあった。 1999年(平成11年)10月2日に経営破綻。経営破綻後に、第四銀行・大光銀行などの地方銀行に店舗の営業が移管された。 相互銀行時代は行章に「ゆきつばき」を用いており、「ゆきつばきの銀行」とコマーシャルに使用。 普銀転換時には商号を「新潟銀行」としたかったとされているが、第四銀行も新潟県外の顧客からは「新潟銀行」と呼ばれているなどしたため、県外の顧客が混同することを避けるために、相互銀行からの転換時に「新潟中央銀行」という名称にした。なお、当時の公式サイトのドメインは「niigatabank.co.jp」としていた。 マスコットキャラクターはトムとジェリーを採用していた。 年月 相互銀行から普通銀行に転換した時期を境に、特に5代目頭取の大森龍太郎率いる上層部の同族経営かつワンマン経営による乱脈融資が行内で深刻化した。なかでも、バブル経済末期から平成不況へと変遷した1990年代前半から末期の1997年にかけて採算性を考慮せず、全国各地にゴルフ場や遊園地を次々と開設したことが後に大痛手となる。この間に笹神ケイマンゴルフ場、東軽井沢ゴルフクラブ、富士中央ゴルフ倶楽部のほか、ゴールデンリング構想と言われた遊園地の新潟ロシア村・柏崎トルコ文化村・富士ガリバー王国を開業していた[1]。いずれの施設もファミリー企業のように実質支配下としていた各デベロッパー会社へ、多額の融資を行い開業させたものであった。これらのほかにも、建設業やリゾート開発など不動産関連業種の融資に偏重して不良債権を急増させている。 バブル崩壊後の1999年6月、金融再生委員会は新潟中央銀行が自己資本不足に陥ると判断、早期是正措置を発動するに至った。銀行内では同年9月までに約200億円の第三者割当増資を計画するも、公式に支援に名乗りを上げ主力割当先と期待された英会話教室チェーンNOVAをはじめとする各社が先行きを懸念して引き受けを拒否する事態が発生。
概要
沿革
194210新潟無尽株式会社として設立される。
1951相互銀行法の制定により、株式会社新潟相互銀行に商号を変更する。
19598新潟相互銀行本社屋を新築移転する。
19673新潟県内の金融機関にさきがけて電子計算機を導入する。
197310第一次オンライン化が完了する。
19742東京証券取引所市場第1部に指定替えする。
19815KDC(関東データセンター)オンラインシステムへ移行する。
19892普通銀行へ転換し、新潟相互銀行から「新潟中央銀行」に商号を変更する。相互銀行から転換したことを記念してCIを制定。
12転換社債として1億スイスフランを発行する。
19908地上10階建て、地下1階建ての本店新社屋が完成する。
199910金融整理管財人による、業務及び財産の管理を命ずる処分を受ける。
バブル崩壊と経営破綻
不動産バブル期
経営破綻
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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