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新沼 謙治
出生名新沼謙治
生誕 (1956-02-27) 1956年2月27日(68歳)
出身地 日本・岩手県大船渡市
ジャンル演歌
職業演歌歌手、シンガーソングライター、俳優、タレント
担当楽器歌
活動期間1976年 -
レーベル日本コロムビア
公式サイト新沼謙治
新沼 謙治(にいぬま けんじ、1956年2月27日 - )は、日本の演歌歌手、シンガーソングライター、俳優、タレント。身長170cm、血液型A型。
略歴
岩手県大船渡市出身。大船渡市立第一中学校を卒業後、集団就職により栃木県宇都宮市にある左官業の会社で働く。一時は千昌夫が勤めていた北海道岩見沢市にある左官業の会社で働いていた時期もあるという風説があるが、BSフジ「あなたの歌謡リクエスト(2016年3月11日放送)」内で、本人が「北海道で千さんと一緒に働いたことはない」と明確に否定した。
日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に応募。予選会で4度落選し、5度目の予選で本戦に出場。1975年の決戦大会で五木ひろしの『哀恋記』を歌って合格した。オファーしたプロダクションは男性史上最多の17社。同時に合格したのはハワイ出身の横本メイ。
1976年2月1日、日本コロムビア(2002年10月から2010年9月までの社名はコロムビアミュージックエンタテインメント)から「おもいで岬」でレコードデビュー。所属事務所は第一プロダクションに決まりデビュー時のキャッチフレーズは、「気持ちよく悲しい男」[注 1]。代表曲に「嫁に来ないか」、「青春想譜」、「ヘッドライト」、「黒潮列車」、「津軽恋女」、「渋谷ものがたり」、「左官職人 こね太郎」、「ふるさとは今もかわらず」など。
1976年に「嫁に来ないか」で第18回日本レコード大賞新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場した。
1986年、趣味のバドミントンを通じて知り合ったバドミントン全英オープンを4連覇した世界的選手の湯木博恵と結婚。姉さん女房で、1男1女をもうけるも、2011年に癌で先立たれた。当日は山形県で東日本大震災のチャリティーコンサートを行っており、最期を看取ることができなかったという[1]。