新民主党_(ギリシャ)
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この項目では、ギリシャ政党について記述しています。カナダの政党については「新民主党」をご覧ください。

ギリシャの政党新民主主義党
Ν?α Δημοκρατ?α
党首アントニス・サマラス
成立年月日1974年10月
本部所在地アテネ
ギリシャ議会議席数91 / 300(30%)(2009年10月)
政治的思想・立場中道右派
保守主義
自由保守主義
キリスト教民主主義
公式サイト ⇒www.nd.gr
シンボル青
国際組織国際民主同盟
キリスト教民主主義インターナショナル
欧州人民党
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新民主主義党(しんみんしゅしゅぎとう、ギリシャ語: Ν?α Δημοκρατ?α(Nea Dhimokratia), 英語: New Democratic 略称:ΝΔ(ND))は、1974年に設立されたギリシャ中道右派政党。中道左派全ギリシャ社会主義運動(PASOK)と並ぶ、ギリシャの二大政党の一つである。国際民主同盟キリスト教民主主義インターナショナルにも加盟している。
歴史

新民主主義党は1974年10月に元首相コンスタンディノス・カラマンリスらによって設立された。その2ヶ月後、カラマンリスは首相に任命され、7年間続いた軍事政権崩壊後初の首相に選ばれた。彼には1967年の軍事クーデター前に2回の首相経験がある。初の自由総選挙では新民主主義党は得票率54.4%を記録した。

カラマンリスは新民主主義党をクーデター以前の旧態依然とした政党とは異なる、より近代的・進歩的な中道右派政党にしようと考えていた。党のイデオロギーは”ラディカルな自由主義”であるとされ、これは”社会的正義の立場に立って自由貿易主義を拡大すること”であると定義された。

1977年には新民主主義党は再び総選挙に勝利した。カラマンリスのもと、ギリシャはNATOとの関係を整理し、トルコの介入が絡んだキプロス問題を解決する予定であった。しかし1980年にカラマンリスは引退し、彼の後継であるゲオルギオス・ラリスは1981年10月の総選挙でアンドレアス・パパンドレウ率いる全ギリシャ社会主義運動(PASOK)に敗れ下野した。ギリシャのEC加盟は新民主主義党が主導することで決定された。カラマンリスは野党から国民投票を認めなかったことで非難された。国民の大半はEC加盟に反対であったといわれる。

新民主主義党はコンスタンディノス・ミトソタキスを首班として1989年に少数与党として政権を握った。1年後の選挙の結果、議席の過半数を制した。その後は続けて選挙に敗北している。1993年にはミトソタキスを党首として、1996年にはMiltiades Evertのもとで、2000年には党の創設者の甥であるコスタス・カラマンリスを擁して敗北した。2000年の選挙では党の歴史上最も獲得議席が少なかった。

しかし2003年になると新民主主義党は世論調査でコスタス・シミティスに率いられたPASOKを常にリードしていた。2004年の1月にシミティスは首相を辞任し、3月7日の総選挙を発表した。PASOKの新しい指導者にはゲオルギオス・パパンドレウが就き、事前にはPASOKの勝利が予想されたが、カラマンリスが勝利し7年ぶりに新民主主義党が政権についた。

カラマンリス政権は2007年の選挙でも辛勝し、新自由主義的な改革を進めたが、世界的な金融危機による景気後退から社会不安を招き、若者の暴動なども多発した。このためカラマンリス首相は国民に信を問うべく2009年に議会を繰上げ解散したがPASOKに敗れ、5年ぶりに下野。党首はアントニス・サマラス(英語)に交代した。
外部リンク

ΝΕΑ ΔΗΜΟΚΡΑΤΙΑ (ギリシャ語)

NEA DEMOKRATIA (英語)

2004年総選挙結果, ギリシャ内務省内

・話・編・歴ギリシャの政党

二大政党新民主主義党(ND) - 全ギリシャ社会主義運動(PASOK)

議会に議席を持つ小政党ギリシャ共産党(KKE) - 左翼進歩連合(SYN) - 正教人民運動(LAOS)

Portal:政治学 - 政党の一覧 - ギリシャの政治

カテゴリ:

ギリシャの政党

保守政党


更新日時:2011年11月6日(日)12:31(日時は
取得日時:2011/11/08 08:22


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