この項目では、ギリシャの政党について説明しています。カナダの政党については「新民主党」をご覧ください。
ギリシャの政党新民主主義党
Ν?α Δημοκρατ?α
党のロゴ
党首キリアコス・ミツォタキス
成立年月日1974年10月4日
本部所在地Πειραι?? 62, Μοσχ?το, 18346, ΑΤΤΙΚΗΣ[1]
ギリシャ議会158 / 300 (53%)(2023年6月25日)
政治的思想・立場中道右派[2][3][4] - 右派[5][6][7][8]
保守主義[9]
経済の自由化[9]
自由保守主義[10]
キリスト教民主主義[10]
親欧州主義
新民主主義党(しんみんしゅしゅぎとう、ギリシャ語: Ν?α Δημοκρατ?α, ラテン文字転写: Nea Dimokratia[9], 英語: New Democracy, 略称:ΝΔ / ND)は、1974年に設立されたギリシャの中道右派政党[2][4][9]。かつては全ギリシャ社会主義運動(PASOK)と、現在では急進左派連合(SYRIZA)とギリシャの二大政党制を担っている[9]。国際民主同盟、中道民主インターナショナルにも加盟している[12][13]。 新民主主義党は1974年10月4日に元首相コンスタンディノス・カラマンリスらによって設立された。その2ヶ月後、カラマンリスは首相に任命され、7年間続いた軍事政権崩壊後初の首相に選ばれた。彼には1967年の軍事クーデター前に2回の首相経験がある。初の自由総選挙では新民主主義党は得票率54.4%を記録した。 カラマンリスは新民主主義党をクーデター以前の旧態依然とした政党とは異なる、より近代的・進歩的な中道右派政党にしようと考えていた。党のイデオロギーは“ラディカルな自由主義”であるとされ、これは“社会的正義の立場に立って自由貿易主義を拡大すること”であると定義された。 1977年には新民主主義党は再び総選挙に勝利した。カラマンリスのもと、ギリシャはNATOとの関係を整理し、トルコの介入が絡んだキプロス問題を解決する予定であった。しかし1980年にカラマンリスは引退し、彼の後継であるゲオルギオス・ラリスは1981年10月の総選挙でアンドレアス・パパンドレウ
歴史
新民主主義党はコンスタンディノス・ミツォタキスを首班として1989年に少数与党として政権を握った。1年後の選挙の結果、議席の過半数を制した。その後は続けて選挙に敗北している。1993年にはミツォタキスを党首として、1996年にはMiltiades Evertのもとで、2000年には党の創設者の甥であるコスタス・カラマンリスを擁して敗北した。2000年の選挙では党の歴史上最も獲得議席が少なかった。
しかし2003年になると新民主主義党は世論調査でコスタス・シミティスに率いられたPASOKを常にリードしていた。2004年の1月にシミティスは首相を辞任し、3月7日の総選挙を発表した。PASOKの新しい指導者にはゲオルギオス・パパンドレウが就き、事前にはPASOKの勝利が予想されたが、カラマンリスが勝利し7年ぶりに新民主主義党が政権についた。
カラマンリス政権は2007年の選挙でも辛勝し、新自由主義的な改革を進めたが、世界的な金融危機による景気後退から社会不安を招き、若者の暴動なども多発した。このためカラマンリス首相は国民に信を問うべく2009年に議会を繰上げ解散したがPASOKに敗れ、5年ぶりに下野。党首はアントニス・サマラスに交代した。その後ギリシャは金融危機に見舞われ、2011年にはPASOKとの大連立政権が発足。2012年6月の総選挙では第1党となり、サマラスを首班とする大連立政権が発足した[14]。2015年1月25日に行われた総選挙では76議席にとどまり、第一党の座を急進左派連合に明け渡すこととなったが、2019年7月7日に行われた総選挙(英語版)では過半数となる158議席を獲得し[15]、結果を受けキリアコス・ミツォタキス党首が首相に就任した[16]。再選挙までもつれた2023年の総選挙(英語版)では過半数の158議席を獲得し[17]、第2次ミツォタキス内閣が発足した[18][19]。 新民主主義党党首
歴代党首
代氏名在任期間
1コンスタンディノス・カラマンリス1974年10月4日 - 1980年5月10日
2ゲオルギオス・ラリス1980年5月10日 - 1981年10月21日
3エヴァンゲロス・アヴァロフ
4コンスタンディノス・ミツォタキス1984年9月1日 - 1993年11月3日