新村 信(しんむら のぶ、嘉永5年(1852年)? - 明治38年(1905年)2月8日)は、15代将軍・徳川慶喜の側室。言語学者の新村出は義弟(ともに養子)である。 嘉永5年(1852年)頃、旗本・松平勘十郎(諱は政隆、形原松平家の流れ)の娘として生まれたとされる。その後、旗本・荒井省吾の養女となった後、さらに小姓頭取・新村猛雄の養女となった。 慶喜との間には明治6年(1873年)に長女・鏡子(徳川達孝夫人)、明治8年(1875年)に三女・鉄子(徳川達道夫人)、明治10年(1877年)に五男・池田仲博、明治15年(1882年)に九女・経子(伏見宮博恭王妃)、明治17年(1884年)に七男・慶久、明治20年(1887年)に十一女・英子(徳川圀順夫人)、明治21年(1888年)に十男・勝精をそれぞれもうけた。 明治維新後も慶喜の側室として仕えたのは、信と中根幸のみである。明治38年(1905年)2月8日、死去。墓所は東京都台東区にある谷中霊園。慶喜の墓の後ろに中根幸の墓と並び、新村信の墓と書かれた墓標が建つ。
生涯
参考文献
雲村俊慥『大奥の美女は踊る』 PHP研究所、2006年。
高柳金芳『大奥の秘事』 雄山閣、2003年。
.mw-parser-output .asbox{position:relative;overflow:hidden}.mw-parser-output .asbox table{background:transparent}.mw-parser-output .asbox p{margin:0}.mw-parser-output .asbox p+p{margin-top:0.25em}.mw-parser-output .asbox{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox-note{font-size:90%}.mw-parser-output .asbox .navbar{position:absolute;top:-0.75em;right:1em;display:none}
更新日時:2022年7月3日(日)03:00
取得日時:2022/11/24 04:05