新日本製鐵堺硬式野球部チーム名(通称)新日本製鐵堺、新日鐵堺、新日本製鉄堺、新日鉄堺
加盟団体日本野球連盟
加盟区分企業チーム
創部1966年
廃部2008年(1995年から休部)
チーム名の遍歴
八幡製鐵堺 (1966 - 1969)
新日本製鐵堺 (1970 - 1994)
本拠地自治体大阪府堺市
練習グラウンド新日鐵堺球場
都市対抗野球大会
出場回数9回
最近の出場1989年
最高成績ベスト4
社会人野球日本選手権大会
出場回数8回
最近の出場1988年
最高成績ベスト8
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数※出場資格なし
新日本製鐵堺硬式野球部(しんにほんせいてつさかいこうしきやきゅうぶ)は、大阪府堺市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。ホームグラウンド(練習場)は、新日本製鐵堺製鐵所敷地内に存在した新日鐵堺球場。
概要で『八幡製鐵堺硬式野球部』として創部[1]。
1970年、富士製鐵と八幡製鐵が合併し新日本製鐵が発足。これに伴い、チーム名を『新日本製鐵堺硬式野球部』に改称した。
1974年、都市対抗野球に初出場し、松下電器から補強した山口高志の活躍もあってベスト4に進出した。翌1975年には、日本選手権にも初出場を果たした。
1980年代に入ると、1980年から5年連続で日本選手権、1982年から4年連続で都市対抗野球に出場する。1981年には、JABA徳山大会で初優勝を達成している。1987年に野茂英雄が入部すると、翌1988年の都市対抗野球および日本選手権でベスト8、1989年の都市対抗野球ではベスト4まで進出した。
1994年、鉄鋼不況の影響から同年シーズン限りで室蘭野球部、光野球部とともに堺野球部の休部を決定した[2]。年間約2億円という運営費がネックになったという[3]。シーズン終了後、部員27人のうち14人は名古屋野球部、広畑野球部、八幡野球部などに移籍した[4]。
2003年、社会人野球の縮小を憂慮した当チーム出身の野茂英雄らによって、若い野球選手たちに活動の場を提供すべく新日鐵堺球場をホームグラウンドとするクラブチームのNOMOベースボールクラブが設立された(現在は、本拠地を兵庫県豊岡市へ移転)。
2008年3月21日付けで、正式に解散となった[5]。
沿革
1966年 - 八幡製鐵の堺製鐵所で『八幡製鐵堺硬式野球部』として創部。
1970年 - 母体の合併により新日本製鐵が発足したのに伴い、チーム名を『新日本製鐵堺硬式野球部』に改称。
1974年 - 都市対抗野球に初出場(ベスト4)。
1975年 - 日本選手権に初出場。
1994年 - 休部。
2008年 - 解散。
主要大会の出場歴・最高成績
都市対抗野球大会 - 出場9回
社会人野球日本選手権大会 - 出場8回
JABA徳山大会 - 優勝1回(1981年)
主な出身プロ野球選手
尾西和夫(投手) - 1975年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団
平山正人(投手) - 1976年ドラフト4位で阪急ブレーブスに入団
峯本達雄(外野手) - 1976年ドラフト4位で阪神タイガースに入団
中出謙二(捕手) - 1977年ドラフト1位で南海ホークスに入団
尾花夫(投手) - 1977年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団
野茂英雄(投手) - 1989年ドラフト1位で近鉄バファローズに入団
馬場敏史(内野手) - 1989年ドラフト5位で福岡ダイエーホークスに入団
南真一郎(投手) - 1994年ドラフト3位で近鉄バファローズに入団
後藤光貴(投手) - 休部に伴い大和銀行に移籍し、1999年ドラフト7位で西武ライオンズに入団
脚注[脚注の使い方]^ 毎日新聞、1994年7月27日付朝刊、大阪地方面
^ 1995年から、室蘭野球部は室蘭シャークス、光野球部は光シーガルズと改称しクラブチームとして活動を継続。