新川町_(愛知県碧海郡)
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しんかわちょう
新川町
1917年の新川町
廃止日1948年4月5日
廃止理由新規合併

現在の自治体碧南市
廃止時点のデータ
日本
地方中部地方東海地方
都道府県愛知県
碧海郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
総人口14,783人
(1947年10月1日)
新川町役場
所在地愛知県碧海郡新川町
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度54分13秒 東経136度59分39秒 / 北緯34.90358度 東経136.99406度 / 34.90358; 136.99406 (新川町)座標: 北緯34度54分13秒 東経136度59分39秒 / 北緯34.90358度 東経136.99406度 / 34.90358; 136.99406 (新川町)
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新川町(しんかわちょう)は、かつて愛知県碧海郡にあったである。

現在の碧南市の北部(山下町、松江町、田尻町、六軒町、丸山町、久沓町、堀方町、天王町、福清水町、道場山町、浅間町、山神町、新川町、篭田町、千福町、浜尾町、住吉町、金山町、東山町、西山町、鶴見町、相生町)に該当する(詳しくは碧南市の地名#旧新川町)。

油ヶ淵からの排水のために1705年宝永2年)に開削された新川が名称の由来であり、町域は新川北岸に位置していた。
沿革新川を超える名鉄三河線名鉄新川町駅

江戸時代末期、この地域は沼津藩領、寺社領などであった。

1883年(明治16年)

5月8日 - 棚尾村の飛び地であった、東山・西山が分立し、北棚尾村となる。

11月28日 - 大浜村の一部(新川北岸)が分立し、北大浜村となる。


1889年(明治22年)10月1日 - 北大浜村と北棚尾村が合併し、北大浜村となる。

1892年(明治25年)8月1日 - 北大浜村が町制施行、改称し新川町となる。

1948年(昭和23年)4月5日 - 大浜町棚尾町旭村合併碧南市が発足。新川町は廃止される。

教育
小学校

新川町立新川小学校 (現・
碧南市立新川小学校

中学校

新川町立新川中学校 (現・
碧南市立新川中学校

交通

名古屋鉄道三河線

新川町駅北新川駅


名古屋鉄道三河線新川口支線[1]

新川口駅 (貨物駅)


神社・仏閣

新川神社

観光・娯楽

衣浦温泉街
1944年には明治航空基地の将校向けに特殊飲食店街が設置され、戦後には娼妓のいる花街となったが、1958年(昭和33年)の売春防止法施行に先立って1954年(昭和29年)から温泉街への転換が図られた[2]。ピーク時の1957年(昭和32年)には10軒の旅館があり、1958年(昭和33年)には映画館「浜劇」が開館した[2]。当初は知多湾に面していたが、埋め立てが進んだことで衣浦温泉街は廃れていった[2]

新川キネマ
劇場・映画館。名鉄三河線新川町駅の北東の千福町にあった。1929年(昭和4年)に開館し、1978年(昭和53年)に閉館した。閉館後も新川キネマ通りの名に残っている[3]

新盛座
劇場・映画館。新川駅西交差点から150m南にあった。1887年(明治20年)に開館し、1961年(昭和36年)に閉館した。1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風襲来時には三波春夫が当館で公演中だった[4]

浜劇
衣浦温泉街にあった映画館。1958年に開館し、1970年代初頭に閉館した。
出身有名人

中野四郎(元国土庁長官)

脚注[脚注の使い方]^ 新川町 - 新川口の貨物線。1955年2月1日廃止。
^ a b c衣浦温泉街 トボトボ歩く 碧南市


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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