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新宿TOKYU MILANO
Shinjuku Tokyu Milano
1959年の新宿東急文化会館(正面の建物)
店舗概要
所在地〒160-0021
東京都新宿区歌舞伎町一丁目29-1
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分44秒 東経139度42分2秒 / 北緯35.69556度 東経139.70056度 / 35.69556; 139.70056 (新宿TOKYU MILANO)
新宿TOKYU MILANO(しんじゅくトウキュウ ミラノ)は、かつて東京都新宿区歌舞伎町一丁目に所在していた複合娯楽施設である。株式会社東急レクリエーションが運営していた。
建物は新宿TOKYU MILANOビル(旧:新宿東急文化会館)と新宿ミラノ新館からなる。新宿TOKYU MILANOビルでは新宿ミラノ座(旧:新宿ミラノ1)、新宿ミラノ2(旧:新宿東急)、シネマスクエアとうきゅう、新宿ミラノボウルなどが営業し、かつては東京スケートリンクも入居していた。新館には新宿ミラノ3(旧:名画座ミラノ、後:シネマミラノ)、アドアーズミラノ店が入っていた。本項ではこれらについても記述する。
映画館などの中核店舗は2014年12月31日をもって閉館し、それ以外の店舗も2015年までに全店舗が閉店した。
沿革1958年(昭和33年)に新宿ミラノ座でロードショー上映された『十戒』(監督セシル・B・デミル、配給パラマウント映画、1956年制作)の一場面。写真右が主演のチャールトン・ヘストン
1956年(昭和31年)
3月29日 - 新日本興業株式会社が新宿東急文化会館を起工[1]。
11月30日 - 新宿東急文化会館が竣工する[2][3]。
12月1日 - 渋谷東急文化会館開業と同日[4]、東京都新宿区歌舞伎町748番地[5]に新宿東急文化会館が開業[2]。ミラノ座(現:新宿ミラノ1)、新宿東急(現:新宿ミラノ2)が営業を開始[2][注 1]。最初の上映作品は『放浪の王者』(監督マイケル・カーティス、配給パラマウント映画)であった[4]。
1957年(昭和32年)12月21日 - 地下1?2階に新宿味の街を建設し[6]、飲食事業を開始[7]。
12月20日 - 東京スケートリンク、リンク開きが行われる[2]。
1965年(昭和40年)12月1日 - 新宿ミラノ新館が開館し[6][7]、総合レジャービルとしての営業が始まる[7]。
1967年(昭和42年)
4月 - 東京スケートリンク閉鎖[6]。
12月1日 - 東京スケートリンク跡にボウリング場・新宿ミラノボウルが開業[6]。
1971年(昭和46年)11月30日 - 新宿ミラノ新館内で営業していたダンスミラノを閉鎖し[6]、名画座ミラノ(現:新宿ミラノ3)が開業。
1978年(昭和53年)7月1日 - 住居表示実施により、所在地が歌舞伎町748番地から歌舞伎町一丁目29番1号に変更される。