この項目では、東京都新宿区の地域について説明しています。その他の用法については「新宿 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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新宿
町丁
国 日本
都道府県 東京都
特別区 新宿区
等時帯日本標準時
新宿都心
副都心
商業地(繁華街・歓楽街)・ビジネス街
西新宿の超高層ビル群と富士山
国 日本
都道府県 東京都
特別区 新宿区
渋谷区
町丁(新宿区)
新宿三丁目・四丁目
西新宿一丁目?三丁目・六丁目?八丁目
歌舞伎町(全町丁)
(渋谷区)
千駄ヶ谷五丁目
代々木二丁目[1]
等時帯日本標準時
靖国通りの歌舞伎町交差点付近
新宿(しんじゅく)は、東京都新宿区の町名。また、隣接する西新宿・歌舞伎町などを含める新宿駅周辺の通称である。現行行政区画では、新宿一丁目から新宿七丁目。新宿区南西部と渋谷区北部(千駄ヶ谷・代々木の一部)にまたがる新宿駅を中心とした繁華街・歓楽街・ビジネス街であり、副都心「新宿副都心」とされ渋谷副都心・池袋副都心と並ぶ3大副都心の一つである。
江戸時代は甲州道中の宿駅である内藤新宿として栄え、近代以降は関東大震災を契機に東京でも最大規模の繁華街として成長した。映画や音楽や演劇などの文化で栄えた街としても知られている[2][3][4]。 新宿駅東口(新宿三丁目)を中心とした繁華街の規模は東京最大級であり、年間販売額は日本一位を誇る。百貨店不況の今日においても新宿エリアは巨大百貨店が4店舗もある百貨店激戦区であり、特に地域一番店の新宿伊勢丹は日本一の売上高を誇る百貨店である。他にも新宿エリアは日本最大の歓楽街である歌舞伎町や、超高層ビルが林立するビジネス街の西新宿を擁する。また駅から少し離れた場所に位置する新宿二丁目は日本最大のゲイタウンとして知られる。このように新宿の街の特徴として各地区ごとに様々な機能や顔を併せ持ち、開発時期もそれぞれ異なるため雑多な雰囲気を持つ。新宿駅は世界一の利用者数を誇る巨大ターミナル駅であり、昼夜を問わず人の波が途絶えることはない。さらに駅と直結しているバスタ新宿は日本最大の高速バスターミナルであり、新宿は東京の一大交通拠点として機能している。 武蔵野台地の東方に位置し、江戸時代には甲州道中の宿駅(内藤新宿)として栄えた。明治維新後の1885年に日本鉄道の山手線の駅が置かれた。当時、新宿の町の中心は江戸時代から続く甲州街道の宿場町である内藤新宿(現在の新宿一丁目・二丁目付近)があった辺りであった[5]。鉄道黎明期においては繁華街や既成の市街地などでは鉄道に対する反対運動が激しく、内藤新宿付近に駅を設置することができなかった[5]。そのため新宿駅は西側の町外れに置かれ、駅周辺は閑散としていた[5]。市政施行時には新宿は東京市域にも含まれておらず、当時の渋谷や池袋と同様、新宿駅は田畑の広がる東京郊外の田舎の駅の1つにすぎなかった。1889年、中央線の前身である甲武鉄道が新宿駅 - 八王子駅間を開業すると、徐々に新宿駅を中心として町が発展していった[5]。繁華街として本格的な発展を遂げたのは、1923年の関東大震災以降のことである。すなわち、銀座や浅草などの下町に比べて武蔵野台地上にある新宿は表層地盤が非常に強く被害が軽微であり、震災後に下町から移り住んで人口が激増した西部郊外にとって当時の中央線が都心に乗換えなしに行ける唯一の鉄道であったことから、私鉄各線からの乗り換え需要で新宿に交通が集中するようになり、戦前期には、新宿駅東口は都内有数の一大繁華街となったのである。1933年には新宿三丁目に伊勢丹が開業した。戦後直後は東京の他のターミナル駅同様、駅前に闇市が形成された。戦後、高度成長期を中心に東京の郊外は一貫して西側へ拡大していき、郊外住宅地に住む人々が千代田区の丸の内や大手町、中央区の日本橋などの都心部へ通勤・通学するための乗換駅としての役割を果たすとともに、鉄道交通の拠点として都心部の繁華街を凌駕する規模の商業地として発展していくこととなる。これは他の副都心である渋谷や池袋も同様である。 東口に比べてそれまで発展が遅れていた西口一帯の西新宿は、1965年に淀橋浄水場が閉鎖され、その跡地で新宿副都心(新都心)の大規模再開発が始まると、1971年の京王プラザホテル開業を皮切りに続々と超高層ビルが建設された。1991年に丸の内からの東京都庁舎移転開庁などを経て今日見られるような超高層ビルが林立する大規模オフィス街に発展した。
概要