新宿音楽祭
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出典検索?: "新宿音楽祭" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年3月)

新宿音楽祭
THE SHINJUKU MUSIC FESTIVAL
会場に多く使われていた日本武道館
受賞対象優れた新人歌手
会場日本武道館(大半)
日本
主催文化放送
新都心新宿PR委員会
初回1968年
最新回1994年

新宿音楽祭(しんじゅくおんがくさい)は、1968年から1994年(1988年は昭和天皇の容態悪化に配慮して中止となったため、入賞した歌手20組は全員銅賞扱い)にかけて開催された、新人歌手対象の音楽祭である。開催時期は毎年10月初旬から中旬となっており、ニッポン放送銀座音楽祭」、ラジオ日本横浜音楽祭」、ABCABC歌謡新人グランプリ」と並んでラジオ局による歌謡新人賞レース序盤の重要な大会であった。
概要

新宿音楽祭は1968年に創始された新宿祭[注釈 1]の一環として、紀伊國屋書店創業者である田辺茂一を会長とする新都心新宿PR委員会[注釈 2]の主催で同年に東京厚生年金会館で第1回大会が行われ、1969年から1972年は新宿コマ劇場、1973年から1975年および1991年以降は東京厚生年金会館、1976年から1990年にかけては千代田区の日本武道館が使用された。後援は東京都・新宿区。大会顧問は平井賢、斎藤茂、高木清他。

大会の模様は文化放送で生中継され、放送時間は1974年 - 1987年までは16時 - 20時30分。[注釈 3]1989年以降は18時 - 22時。正味、4時間の放送であった。また文化放送だけでなく地方民間放送共同制作協議会(火曜会)加盟各局でも同時放送されていた。

1986年まではフジテレビの『土曜スペシャル』で90分(後に75分)編集版が関東ローカルで、テレビ放送されていたことがある[注釈 4]。編集版では第2部の全て、大会顧問の講評、EDを割愛された他、金賞発表をまとめてカットされたこともあった。

大会は基本的に3部構成で、第1部は参加歌手による歌唱。第2部は前年度の金賞受賞者など、ゲストによる歌唱コーナー。第3部は審査結果発表と金賞受賞者の再歌唱となっていた。

最高賞は「金賞」で、原則として2組が選ばれた。受賞歌手にはトロフィー、賞金[注釈 5]と新宿区長賞。副賞としてスポンサーから賞品が贈呈されていた。1974年 - 1982年まではイタリアの「サンレモ音楽祭」へ派遣された(受賞者にはアリタリア航空より航空券とバッグ。サンレモ音楽祭 組織委員会より、サンレモ音楽祭賞と特別招待状が贈呈されていた)。以下、「審査員特別奨励賞」(1組)「銀賞」(5組)「敢闘賞」(1組)と続き、入賞は「銅賞」となった。

(毎年ではないと思われたが)本選の2週間程前の週末に新宿三井ビル入口の野外ステージ(フォンターナ)においてエントリー歌手を紹介する(勿論全歌手が出演し歌唱する)プレステージが催された。観覧は自由な為、特に1982年の新人豊作の年には親衛隊や通行人がごった返し大変なイベントとなった。

オープニングやエンディングで「新宿音楽祭の歌」(正式な題名不詳)が、バンドとスクールメイツによるコーラスで流れる。

スポンサーは当初パイロット萬年筆トモヱそろばん富士重工ヤクルト森永製菓大王製紙、スワローヘア化粧品、ニコマートなどの複数企業。後年は1社提供で[注釈 6]ライオンシャープを経て、最終回はクラリオンが務めた。音楽の多様化等により、1994年限りで終了となる。
司会

司会は文化放送の男性アナウンサーが代々、務めており、同局アナ時代のみのもんた、梶原しげるがその名を連ねていた。第2部は同局の若手・中堅 男性アナが司会を務めていた[注釈 7]。女性アナウンサーは、局アナ時代の落合恵子が務めたことがある程度である。

佐藤依、落合恵子(? - 1975年)

みのもんた(1976年 - 1979年)

梶原茂(現・梶原しげる 1980年 - 1991年)

竹内靖夫(1992年 - 1994年)

受賞者一覧
金賞

矢吹健、はつみ・かんな(後のしばたはつみ)、久保内成幸とロマネスクセブン(1968年)

はしだのりひことシューベルツ高田恭子、斉条史朗(1969年)

日吉ミミ野村真樹(1970年)

五木ひろし南沙織(1971年)

麻丘めぐみ森昌子(1972年)

八代亜紀アグネス・チャン(1973年)

中条きよし西川峰子(1974年)

岩崎宏美細川たかし(1975年)

内藤やす子新沼謙治(1976年)

清水健太郎高田みづえ狩人(1977年)

石野真子渡辺真知子(1978年)

竹内まりや桑江知子(1979年)

田原俊彦松田聖子(1980年)

近藤真彦山川豊(1981年)

シブがき隊小泉今日子(1982年)

THE GOOD-BYE岩井小百合桑田靖子(1983年)

吉川晃司岡田有希子(1984年)

中村繁之本田美奈子(1985年)

少年隊真璃子(1986年)

酒井法子立花理佐(1987年)

マルシア田村英里子(1989年)

忍者晴山さおり(1990年)

Mi-Ke中嶋美智代(1991年)

田川寿美永井みゆき宮田愛(1992年)

シュー・ピンセイ(中国語版)、井上りつ子(1993年)

水田竜子西尾夕紀(1994年)

審査員特別奨励賞

いとのりかずこ(1971年)

藤原誠(1972年)

あべ静江(1973年)

グレープ(1974年)

小川順子(1975年)

角川博(1976年)

渋谷哲平(1978年)

倉田まり子(1979年)

岩崎良美(1980年)

堤大二郎(1981年)

中森明菜(1982年)

長山洋子(1984年)

芳本美代子松本典子(1985年)

水谷麻里(1986年)

武山あきよ(1987年)

香田晋(1989年)

藤あや子(1990年)

銀賞 

サトー・ノト
、早瀬一也、東弘子(叶ひろ子)、可奈まゆみ、ジョーヤ増淵とアフロアミーゴス(1968年)

千賀かほるビリーバンバン箱崎晋一郎ほか(1969年)

君夕子、ジョイベルス東京、姿憲子、マイケル中村(1970年)

湯原昌幸平山三紀白川奈美ほか(1971年)

青い三角定規三善英史牧村三枝子ほか(1972年)

桜田淳子山口百恵、ジュン沢木、夏木マリほか(1973年)

小坂明子テレサ・テン伊藤咲子麻生よう子ほか(1974年)

太田裕美岡田奈々片平なぎさ、野川明美(1975年)

ピンク・レディー朝田のぼる三波豊和田山雅充ほか(1976年)

神田広美香坂みゆき太川陽介榊原郁恵(1977年)

さとう宗幸石川ひとみ中原理恵金井夕子ほか(1978年)

井上望石川優子、宮本典子、BORO(1979年)

松村和子河合奈保子鹿取洋子ほか(1980年)

沖田浩之竹本孝之祐子と弥生ニック・ニューサ(1981年)

早見優松本伊代石川秀美堀ちえみ尾形大作(1982年)

大沢逸美原真祐美、佐山友香、柳沢純子伊藤麻衣子(1983年)

神野美伽荻野目洋子辻沢杏子渡辺桂子田中久美(1984年)

井森美幸橋本美加子岡本舞子石野陽子(1985年)

山瀬まみ勇直子段田男湯江健幸(1986年)

BaBe畠田理恵仁藤優子石田ひかり坂本冬美(1987年)

細川直美川越美和麻生詩織尾鷲義仁(1989年)

田中陽子ほか(1990年)

胡桃沢ひろ子高見のり子ほか(1991年)

加藤紀子ほか(1992年)


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