この項目では、日本の和歌山県新宮市にあるJR西日本・JR東海紀勢本線の駅について説明しています。
中華人民共和国の北京市豊台区にある北京地下鉄大興線の駅については「新宮駅 (北京市)」をご覧ください。
西鉄貝塚線の駅については「西鉄新宮駅」をご覧ください。
JR西日本姫新線の駅については「播磨新宮駅」をご覧ください。
JR九州鹿児島本線の駅については「新宮中央駅」をご覧ください。
かつて筑前新宮駅と称したJR九州鹿児島本線の駅については「福工大前駅」をご覧ください。
新宮駅
駅舎(2023年7月)
しんぐう
Shingū
◄鵜殿 (3.6 km) (4.7 km) 三輪崎►
所在地和歌山県新宮市徐福二丁目1-1.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度43分30.76秒 東経135度59分38.97秒 / 北緯33.7252111度 東経135.9941583度 / 33.7252111; 135.9941583
新宮駅(しんぐうえき)は、和歌山県新宮市徐福二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)紀勢本線の駅である。JRの境界駅の1つ。事務管コードは▲622038[3]。 新宮市の代表駅であり、紀勢本線の運行上重要な役割を有する駅で、紀勢本線は当駅を境にJR西日本管轄、JR東海管轄と分かれており、両会社の境界駅となっている[1]。またJR東海が管轄する亀山駅方は非電化区間、JR西日本が管轄する和歌山駅方が電化区間で「きのくに線」の愛称が付いており、その境界ともなっている。会社境界は下り場内信号機にある。熊野川橋梁 - 丹鶴トンネル間が線路上の境界でトンネル北口に分界標識が立っている。 JR東海が運行する特急「南紀」の一部が名古屋駅から当駅を越えて紀伊勝浦駅まで運行されるが、その他は当駅を跨いで運行される列車は設定されていない。和歌山県内の駅では最東端である。
概要
歴史開業風景。沿線住民が日の丸の旗を振っている。
1913年(大正2年) 3月1日:新宮鉄道の終着駅として開設[1][4]。当時路線は熊野地駅を経由し三輪崎駅へ至っていた。そのため当時は今とは位置が異なっており、現在地より40m程北方の熊野交通事務所付近と推定されている一般駅
1934年(昭和9年) 7月1日:新宮鉄道国有化、鉄道省紀勢中線(現・紀勢本線)の駅となる[1][5]。
1938年(昭和13年)5月20日:現在地へ移転[1]。それに伴い、熊野地駅を経由しない新線が開通[1]。旧線の一部は当駅 - 熊野地駅間を結ぶ貨物支線へ転用された[1]。
1940年(昭和15年)8月8日:線路名称改定。紀勢中線が紀勢西線へ編入、同線の駅となる。同時に紀勢西線当駅 - 紀伊木本駅間延伸[1][6]。
1951年(昭和26年)1月21日:駅小荷物室より出火。木造2階建て950坪の2代目駅舎焼失[7][8]。
1952年(昭和27年)
3月5日:3代目駅舎工事着工[9]。
12月12日:3代目現駅舎竣工[9]。
1959年(昭和34年)7月15日:線路名称再改定。紀勢西線が紀勢本線へ編入、同線の駅となる[1]。
1977年(昭和52年)4月16日:昭和天皇・香淳皇后が第28回全国植樹祭開催に合わせ県内を行幸啓。名古屋駅発当駅行、当駅発那智駅行お召し列車運行[10]。
1982年(昭和57年)11月15日:貨物支線当駅 - 熊野地駅間廃止[1]。
1986年(昭和61年)11月1日:貨物取扱廃止(旅客駅化)[11]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR西日本・JR東海の駅となる[1]。なお、駅業務はJR西日本に引継ぎ[11]。
2010年(平成22年)6月1日:支社直轄に伴い、それまでの新宮鉄道部管轄から管理駅となる(管理範囲:新宮駅 - 見老津駅間)。
2016年(平成28年)12月17日:ICカード「ICOCA」が利用可能となる[12]。
2020年(令和2年)10月31日:キヨスク営業終了。