新宗教
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ロシアモスクワの男性に説教するヒンズー教ハレ ヘアクリシュナ運動の信者。アメリカフロリダ州タンパにあるサイエントロジー教会の神殿。

新宗教(しんしゅうきょう、(: new religious movement)または新興宗教(しんこうしゅうきょう)[1]とは、伝統宗教と比べて比較的成立時期が新しい宗教のこと。国ごとに言葉の意味や捉え方が異なる。

日本では、幕末明治維新による近代化以後から近年(明治以降)にかけて創始された比較的新しい宗教のことを言うが、江戸時代に起源を持つところもあり、それなりの歴史と伝統を確立している団体も多い。

実に多種多様な団体を包括した用語であり、伝統宗教と比べて比較的新しいというだけで、すべての団体にあてはまる概念、背景等の共通点は、成立時期のほかには存在しない。

2000年代以後の現在、日本において一定規模で持続的に宗教活動を展開している新宗教の教団は、350 - 400教団ほどと考えられ[2]、新宗教の信者は、日本人のおよそ1割を占めると推定される[3]

戦前日本の宗教団体法下では、公認された宗教は、神道仏教キリスト教の三教のみであり、非公認の宗教団体は、公認宗教と区別され行政上「類似宗教」と呼ばれた[4][5]。そのほか、疑似(擬似)宗教とも呼ばれた[6]
概説

カルト: cult)に代わる中立的な用語として使用されるようになった「new religious movement」を、日本では新宗教と呼ぶ。アメリカ合衆国では、「19世紀1801年 - 1900年)に基礎を確立した宗教」を指す場合が多く、ヨーロッパでは「1960年代以降に発展した宗教」を新宗教とよんでいる[7]。ただし、歴史的、宗教的背景の相違から、意味内容や対象とする年代に若干のずれがある。

日本の宗教学では、近現代近代現代)に誕生した宗教を指す価値中立的な用語として新宗教を用いている。正確な範囲は論者によって異なるが、日本では19世紀中頃の幕末明治維新期以降に成立した宗教のうち、既成の宗教組織を継承していないもの、また新たな教義を掲げて伝統宗教から自立したものを新宗教と呼ぶ。

学問上の便宜的な用語であり、新宗教であることを否定する創価学会天台宗との伝統を強調し新宗教ではないとする孝道教団、新宗教ではなく一切の宗教と科学を包容した超宗教であると主張する生長の家のように、教団自体が自らを新宗教とは位置付けてはいないことも多い[8]

宗教学者が用いる新宗教という言葉には、とりわけ「近代化」という時代背景が考慮されている。都市化、産業化、家族形態の変化、マスメディアの登場、交通の発達、学校教育の普及といった近代化によって、初めて可能となった教団の組織形態、布教形態を有する点が特徴的とされ、新宗教は近代以前に生まれた各時代における「新しい宗教」とは、それらの点で異なると見られている[9]
歴史日本では内務省が大本弾圧を行った。1921年(大正10年)に起こった第一次大本事件を伝える新聞。1921年10月20日(綾部)『寫眞通信』大正十年十月號、大正通信社

第二次世界大戦以前の日本においては、仏教宗派、キリスト教教派神道が「公認宗教団体」とされ、文部省宗務局(現在の文部科学省文化庁文化部宗務課に相当)の管轄であったのに対し、新宗教は「類似宗教」として、内務省警保局(現在の警察庁に相当)の管轄であった[10]

新宗教は、いわゆる国家神道体制下で「新興類似宗教団体」、「疑似宗教」等と呼ばれて淫祠邪教視され、警察の取り締まりの対象とされていた。新宗教への弾圧を繰り返した政府は、その都度、ラジオ新聞出版などマスメディアを使って大々的な邪教キャンペーンを展開して弾圧を正当化した。これらの宣伝が、国民の新宗教への邪教視、低俗視を抜きがたいものにしている[11]

日中戦争の最中にあった1940年(昭和15年)4月、当時の米内内閣(海軍大将)下で「宗教団体法」が成立・施行されると、新宗教は宗教結社として初めて宗教行政の対象となった。一方で、戦時体制により政府による宗教統制はさらに厳しいものとなり、戦争推進協力に積極的であった生長の家、霊友会等の一部の新宗教を除いた大半の新宗教は、ほとんど活動の余地を奪われて、逼塞状態となった。新宗教が初めて活動の自由を獲得したの戦後第二次世界大戦敗戦後)である[11]

明治 - 大正時代は、新宗教の勢力は小規模なものであった。現在の新宗教の大教団では、昭和初期以後、1930年(昭和5年)に創価学会(発足当時の名称:創価教育学会)と霊友会1938年(昭和13年)に立正佼成会が創立され、戦後から1970年(昭和45年)頃までに急成長を遂げた[7]

戦前においては、新宗教や新興宗教という言葉は使われることがなかったわけではないが、一部にとどまり一般化はしなかった。そうした新しい宗教に対して用いられていたのが、邪教というイメージを伴う「類似宗教」と呼ばれていた。戦後の1950年代から60年代にかけて、新しい宗教団体の活動が活発化、爆発的な拡大を始め、「新興宗教」という言葉が一般に広く使われるようになった。1970年代半ば以降、新興宗教という表現には蔑視するニュアンスがあるとして、新宗教という表現が研究者やジャーナリストの間で一般化した[12]2008年に兵庫県加東市の山中に巨大な伽藍を築いた新宗教教団。仏教浄土門単立宗教法人念佛宗三寶山無量壽寺(施工:大林組[13]

特に、1970年代以降に台頭してきた宗教を新新宗教(新々宗教)と呼ぶ学者もいる。これは宗教社会学者の西山茂、宗教ジャーナリストの室生忠などが提唱した概念で、既存の教勢が停滞する一方で、幸福の科学世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会)、オウム真理教などが急速に拡大した現象に注目したものである。しかし新新宗教については、研究者によって多種多様な提唱があり、具体的にどの団体を指すのかも、何をもって新しいとするかの具体的基準も、明確に定まってはいない[14]。どこまでを新新宗教に含めるか、他の新宗教と区別する意義は何か、といった議論があり、広辞苑大辞泉にも独立単語として掲載されていない。

世界的に経済成長が止まると宗教活動が低下することが多く、日本では平成時代を経て多くの教団が大幅に信者数を減らしたとされる[15]
形態
発生

ひとつの典型的な形態としては、ある人物の天啓や神がかりにより運動が創始され、既存の伝統的な宗教から影響を受けつつ、新たな宗教としての体裁をなし、組織的教団となっていく例があげられる。または、宗教的修行者のもとに病気治療や人生相談を要求する人々が集結し、組織が拡大して教祖的な位置に至る場合もある。通常は、霊能祈祷師的人物の周りに定期的にお祓いなどを求める信者が集まっているだけでは、新宗教とは呼ばれない。この集団が教義を次第に整え、多くの人に布教を始め、近代的組織ができてくると、新宗教とみなされるようになる[9]

新宗教の教祖の経歴は非常に多様であり、宗教家をもつ家庭環境に誕生し育った者よりも、様々な社会階層職業の者が宗教的回心によって教祖になる例が圧倒的に多い。信者たちにとって教祖は、尊敬されつつも、一般に考えられているよりは比較的身近で親しみの持てる存在として受け止められている[16]。その一つとして、伝統宗教がその創始において教祖が家族として否定したのに対し、多くの新宗教では教祖は家族を否定せず、家族関係を保持したまま家ぐるみで聖化されるストーリーを提示している[17]。他方で、既成宗教の再生運動とみられるもの、あるいは道徳倫理・修養団体とさほど違いのないような運動・教団も数多く存在する。
活動

新宗教は伝統宗教と比較すると、難しい教学をさほど重視せず、実生活に即した分かりやすい説明を大事としていることが多い。伝統的な神仏等を崇拝対象としつつも、事実上は教祖や指導者が崇拝(個人崇拝)されており、伝統宗教の教えを踏まえた上で、教祖や指導者による独自の教えが付け加えられている[18]

また、布教方法は伝統宗教と大きく異なり、伝統宗教では基本的に地縁・血縁による単純再生産がなされるのに対し、新宗教では積極的に布教を実施しない姿勢の教団も少数あるが、布教師だけでなく一般信者も布教に尽力する教団が多く、新たな信者獲得に努める姿勢が見られる(折伏大行進など)。伝統宗教が年中行事や人生儀礼に関わる比重が高いのに対し、新宗教では日常生活で遭遇する現実的な問題解決に熱心である。人生の様々な悩みについて、信者たちは教団の指導を仰いだり、信者同士で話し合いの機会を持つ。伝統宗教に比べ、専従者と非専従者の境界がそれほど重要とされないのも特徴である[18]。宗教が平和運動福祉ボランティア活動と関わる際にも、新宗教は重要な役割を果たしてきた[3]

かつて伝統宗教も分裂を繰り返してきたように、新宗教もカリスマ性を喪失するなどして分派することも多い(霊友会系教団真光系諸教団など)。
入信理由

平成期 - 2000年代以後現在の新宗教の信者の大半は、二世信者以降となっており、誕生して幼い頃から家庭環境やコミュニティの影響等によりその宗教に接しているため、特別な入信動機は存在しないことが多い。初代の信者の入信動機で最も広くみられるのは、「病気による苦境」である。かつての新宗教の入信動機は、貧困といった経済的事由、病気をはじめとした健康問題、人間関係のトラブル(いわゆる「貧・病・争」)といった精神的苦痛が、多数を占めており、剥奪的動機により説明されることが多かった。しかし、戦後の高度経済成長期の終盤を迎えるころから、入信動機に精神的な満足や充足を求める割合が増えている。こうした変化はあるものの、新宗教においては現世的なものが重要な役割を果たしている。新宗教では、苦難に遭遇した理由や原因を説明することも多く、こうした悩みに対し、既存の伝統宗教にも共通する神仏への信仰のみならず、特別な力を持つとされる教祖への個人崇拝的信仰、勤行読経・唱題手かざし先祖供養等の方法により、悩みを直接的に解決できると打ち出すことも多いが、多くの場合、もっとも重要とされるのは本人の「心なおし」である[19][20]。過去の心の在り方を反省し、心の持ち方を改め、他者に常に善意と感謝を持って対することが最も重要とされている点は、多数の新宗教教団に共通している。新宗教の教えとは「心なおし」の教えといってよいほど、多数の教団の教えの核心部分にこの「心なおし」が関わっている[21]
伝統宗教との関わり

日本最大の新宗教教団である日蓮鎌倉仏教系創価学会が戸田城聖同会第二代会長時代に(当時は既存仏教宗派の一つである日蓮正宗の信徒団体)、「謗法払い」と称して他の宗教・宗派の崇拝対象を撤去させたので、新宗教の信者は伝統宗教に対して攻撃的であるというイメージが形成されたが、大半の新宗教では、伝統宗教への関わりは肯定的である[22]

戦前から戦後しばらくまで伝統宗教側では、新宗教は人々を惑わす低級な宗教だという評価が一般的であった。


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