新共同訳聖書
[Wikipedia|▼Menu]

新共同訳聖書

正式名称聖書 新共同訳[1]
略称NI[2]
言語日本語[1]
完全版
出版時期1987年(昭和62年)9月5日[1][3]
原文旧約聖書:『ビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア』(ドイツ聖書協会)[4]
旧約聖書続編:『ギリシア語旧約聖書』(ゲッティンゲン研究所)ほか[4]
新約聖書:『ギリシア語新約聖書(修正第3版)』(聖書協会世界連盟)[4]
翻訳の
種類逐語訳[5]
出版社日本聖書協会[6]
著作権状態共同訳聖書実行委員会・日本聖書協会[7]
教派エキュメニズム[8]

『聖書 新共同訳』(せいしょ しんきょうどうやく、: Bible, The New Interconfessional Translation)は、聖書の日本語訳の一つ。カトリックプロテスタントの共同により訳され、日本聖書協会が出版している[2][9]。より新しい、似た背景の聖書翻訳に、聖書 聖書協会共同訳がある。
背景

20世紀初めからキリスト教諸教会相互の間で推進されてきた教会再一致運動(エキュメニズム)は、1962年から開催された第二バチカン公会議で『エキュメニズムに関する教令』が発布されたことで、大きく前進することとなった[10]。日本国においても1965年(昭和40年)に、カトリック司教協議会にエキュメニズム委員会とキリスト教用語委員会が置かれた[11]。エキュメニズム委員会は、日本聖書協会が『聖書 口語訳』の改訂を検討していると知ると、米国でカトリック教会プロテスタント諸教会の双方で利用されている改訂標準訳聖書(RSV)を例に、カトリックが受け入れられるよう改訂できないか提案が出された[11]。これを受けてフランシスコ会聖書研究所と日本聖書協会とで会議が持たれ、次に出版する聖書は、単なる口語訳の改訂ではなく、新たな翻訳とするという結論に達した[11]。一方、キリスト教用語委員会は、「公教要理(カテキズム)」改訂に向けた作業を進めるにあたって、フランシスコ会聖書研究所との共同調査で、カトリック教会で用いる固有名詞と『聖書 口語訳』で用いられている固有名詞とで不一致な語を、日本で広く知られている語に優先した場合、九割が『聖書 口語訳』の語となることがわかり、教派を超えた用語統一実現の可能性を見ることとなった[11]。このようにして、1969年(昭和44年)には日本聖書協会に日本聖書翻訳研究会が置かれるとともに、カトリック司教団と日本聖書協会の共同委員会として聖書訳語委員会及び共同訳聖書可能性検討委員会が組織された[11]。共同訳聖書可能性検討委員会は一年間の討議を経て、共同訳聖書の実現は可能かつ必要であると答申した[11]
翻訳事業の開始

共同訳聖書可能性検討委員会の答申に基づき、カトリック司教団と日本聖書協会は1970年(昭和45年)に共同訳聖書実行委員会を組織し、翻訳作業が始まった[11]。1964年に開催された世界教会指導者会議における「あらゆる教会との協力によって共通の聖書が準備されることを要望する」ドリーベルゲン宣言をきっかけに、共同聖書翻訳のための「標準原則[注 1]」が公表されていた[13][14]。共同訳聖書実行委員会は、この「標準原則」で謳う「意味がよく通じ、しかも公衆の面前で朗読できるような文章を目指すべき」という一文から、対象とする読者を「信者ではない大衆」とし、[11]、訳文はユージン・アルバート・ナイダに先導され動的等価翻訳理論で得られる「直訳を避けた日本語として妥当な表現」が正しいとした[11][15]。底本は、旧約聖書はルドルフ・キッテル編纂のビブリア・ヘブライカ第3版、新約聖書は聖書協会世界連盟のギリシア語新約聖書第3版、外典はゲッティンゲン研究所のギリシア語旧約聖書などを用いることが決まった[15]。共同訳聖書実行委員会に続き、1972年(昭和47年)には翻訳者協議会及び編集委員会、1973年(昭和48年)には検討委員及び国語委員の各機関が整備され翻訳作業が始まった[16]
翻訳作業

新約聖書の場合、原語翻訳者を四福音書及び『使徒の宣教』、ヨハンネス文書、パウロスの四大書簡、パウロスの獄中書簡及び牧会書簡・『ヘブライ人への手紙』・公同書簡の五つの小グループに分け、原語翻訳者が作成した第1稿を小グループが助言し、それに基づいて原語翻訳者が作成した第2稿を全ての原語翻訳者、編集委員及び検討委員が助言し、それに基づいて原語翻訳者が作成した第3稿を国語委員、新約編集委員及び共同訳聖書実行委員が助言し、それに基づいて編集委員会新約部会が作成した第4稿を全ての原語翻訳者、編集委員及び共同訳聖書実行委員から修正意見を求め、編集委員会新約部会が勘案した最終稿案を、全ての編集委員会と共同訳聖書実行委員会の承認を得て最終稿とされた[16]。後述の編集方針変更後は作業を加速化させるため、より少人数の編集実務委員会が新設され最終稿案を作成した[17]
共同訳パイロット版への批判

日本聖書協会はパイロット版として、1975年(昭和50年)に『ルカスによる福音書』を、1978年(昭和53年)に『新約聖書 共同訳』を出版したが、その訳文について諸教会から採用に否定的な声が寄せられた[18]。日本聖書協会は、釈明のために小冊子『新約聖書共同訳について[注 2]』を出版し、聖書訳文の違いを塩ラーメンと味噌ラーメンに例えて抗弁したものの、理解は得られなかった[16][18]

共同訳聖書実行委員会 訳『ルカスによる福音書』(パイロット版)日本聖書協会、東京、1975年。 

共同訳聖書実行委員会 訳『新約聖書 共同訳』(パイロット版)日本聖書協会、東京、1978年11月。全国書誌番号:.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}80005275。 

『新約聖書共同訳について』日本聖書協会、東京、1979年11月。全国書誌番号:21885186。https://www.bible.or.jp/wp-content/uploads/2021/03/kyoudouyaku_new_testament.pdf。2023年1月1日閲覧。 

翻訳方針と翻訳理論の変更

批判を受けて共同訳聖書実行委員会は、翻訳方針における対象読者を「大衆」から「教会」に、翻訳理論は動的等価理論(意訳)を放棄し逐語訳に変更した[19]。それによって既に校了していた新約聖書は勿論、取り掛かっていた旧約聖書の翻訳はやり直しとなり、更なる時間と混乱を生み出すこととなった[11][18]。なお底本も改められ、旧約聖書はドイツ聖書協会のビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア、新約聖書は聖書協会世界連盟のギリシア語新約聖書修正第3版、第二正典はゲッティンゲン研究所のギリシア語旧約聖書などが用いられた[4]
旧約聖書パイロット版

日本聖書協会は翻訳方針の変更後に、パイロット版として『詩編』150編のうち50編を『詩編 抜粋』と題して1983年(昭和58年)に、『ヨブ記』、『ルツ記』及び『ヨナ書』をそれぞれ分冊として1984年(昭和59年)に発行した[11]

共同訳聖書実行委員会 訳『詩編 抜粋 共同訳』(パイロット版)日本聖書協会、東京、1983年。ISBN 4-8202-6007-3NCID BA36012821。OCLC 744310797。全国書誌番号:21888682。 

共同訳聖書実行委員会 訳『ヨブ記 共同訳』(パイロット版)日本聖書協会、東京、1984年。 NCID BN04796177。 

共同訳聖書実行委員会 訳『ルツ記 共同訳』(パイロット版)日本聖書協会、東京、1984年。 

共同訳聖書実行委員会 訳『ヨナ書 共同訳』(パイロット版)日本聖書協会、東京、1984年。 

編集
外典の扱い
外典」も参照

本書には「標準原則[注 1]」に従い、プロテスタント諸教会が外典(アポクリファ)とする文書群を、『旧約聖書続編』として旧約聖書と新約聖書の間に置いた版が用意された[11]。外典のうち、カトリック教会が第二正典に含まれない3書は、白紙で挟んで特に区別した[11]。これにより、カトリック教会、プロテスタント諸教会及び聖公会での使用に応えた[11][20]
脚註及び引照の扱い

脚註がついた版は発行されなかった。そのため初版発行時から、本来なら脚註で説明されるべき内容について附録で補った[11]。引照つきについては、1989年(平成元年)ごろから製作が始まり1993年(平成5年)5月に発行した[21]。引照箇所数は、旧約48,606、新約22,184、続編2,342[21]。内容については、共同訳聖書委員会が監修した[21]。日本聖書協会は、この引照つきの発行を以て、新共同訳のラインナップが完成したとした[22]
出版

書名は『聖書 新共同訳』とされた[11]。1976年(昭和51年)に「共同訳」として出版した新約聖書の訳文が一新されたことなどを理由に挙げた[11]。三省堂印刷は本書の印刷で、同社として初めて電算写植による下版並びに超薄葉紙(25g/m2)のオフセット輪転印刷に成功している[23]。発刊は1987年(昭和62年)9月5日であった[24]。2007年(平成9年)には、初版発行以来初めて装訂の意匠を更新し、同年9月から順次新装版に置き換えられた[24]
初版


共同訳聖書実行委員会 訳『聖書 新共同訳』 NI63(クロス装)、日本聖書協会、東京、1987年9月5日。ISBN 4-8202-1033-5。 

共同訳聖書実行委員会 訳『聖書 新共同訳 旧訳聖書続編つき』 NI63DC(クロス装)、日本聖書協会、東京、1987年9月5日。ISBN 4-8202-1034-3NCID BN16119700。全国書誌番号:88051323。 

引照つき


共同訳聖書実行委員会 訳『聖書 新共同訳 引照つき』 NIO53(クロス装)、日本聖書協会、東京、1993年5月15日。 

共同訳聖書実行委員会 訳『聖書 新共同訳 旧訳聖書続編つき 引照つき』 NIO53DC(クロス装)、日本聖書協会、東京、1993年5月15日。ISBN 4-8202-1243-5NCID BA38152719。OCLC 676329332。全国書誌番号:99016373。 


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:101 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef