この項目では、実業家について記述しています。英文学者の同名の人物については「新井明 (英文学者)」をご覧ください。
弁護士の「新井章」あるいは「新井章 (歌人)」とは別人です。
あらい あきら
新井 明
生誕 (1925-04-01) 1925年4月1日
栃木県那須烏山市
死没 (2004-07-28) 2004年7月28日(79歳没)
東京都新宿区
出身校早稲田大学政治経済学部
職業ジャーナリスト
配偶者あり
栄誉勲一等瑞宝章
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新井 明(あらい あきら、1925年4月1日 - 2004年7月28日)は、元日本経済新聞社社長。栃木県那須烏山市出身。 1949年、早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。1963年政治部長、1970年編集局長となり、取締役労務担当、常務社長室長、副社長大阪本社代表、電波担当などを経て、リクルート事件に絡み当時の森田康社長が引責辞任したことを受け[1]、1988年7月、社長に就任。 1991年、イトマン事件初公判の冒頭陳述で検察側が「被告が日経の協力者に1,000万円を支払った」と指摘した問題では、直ちに調査委員会を設置して「社内協力者」が実在しないことを証明。検察側には一歩も引かない姿勢を示して、事実上、過ちを認めさせ、言論報道機関としての日経の信用回復に全力を挙げた。 公職では、電気通信審議会
来歴・人物
余暇で楽しんだのは囲碁と競馬だった。いくつもの囲碁会に顔を出す一方、競馬は「英国の生んだ最高の芸術」と愛してやまなかった。
2004年7月28日、間質性肺炎のため79歳で死去[1]。
脚注^ a b “新井明氏が死去/日本経済新聞社元社長”
表
話
編
歴
日本経済新聞社
発行本社
東京本社(東京都千代田区)
大阪本社(大阪市中央区)
発行支社
名古屋支社(名古屋市中区)
西部支社(福岡市博多区)
札幌支社(札幌市中央区)
主な刊行紙・刊行雑誌
日本経済新聞
日経ウィークリー→Nikkei Asian Review
日経ヴェリタス
日経MJ
日経産業新聞
日本経済新聞縮刷版
日本経済新聞国際版
フィナンシャル・タイムズ
ザ・バンカー
Money Management(英語版)
This Is Africa(英語版)
過去の刊行物
日経金融新聞
関連会社
QUICK
日経映像
日本経済新聞出版社
日経BP社
日経HR
日本経済社
日本経済広告社
過去:
プレミアム・プラットフォーム・ジャパン(Paravi)
関連放送局1
テレビ東京グループ、テレビ東京ホールディングス(TXHD)
テレビ東京(TX)
テレビ大阪(TVO)
BSテレ東
日経CNBC
日経ラジオ社