新世界_(浅草)
[Wikipedia|▼Menu]

新世界
概要
用途複合娯楽施設
住所
日本 東京都台東区浅草2-8-6[1][注 1]
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分53.63秒 東経139度47分37.17秒 / 北緯35.7148972度 東経139.7936583度 / 35.7148972; 139.7936583
着工1955年8月
開業1959年11月3日
閉鎖1972年
技術的詳細
構造方式鉄骨鉄筋コンクリート
階数地上7階・地下2階(塔屋4階)
設計・建設
建築家海老原建築設計事務所
構造技術者東大坪井研究室
主要建設者佐藤工業
その他の情報
店舗数70店(開館当時)
駐車場500台
テンプレートを表示

新世界(しんせかい)は、東京都台東区浅草にかつて存在した日本の複合娯楽ビル。斜陽にあった浅草公園六区の再興を期し、大温泉浴場やマンモス劇場キャバレーを備えた「娯楽のデパート」として1959年(昭和34年)11月3日に開館したが[2][3]、13年後の1972年(昭和47年)頃には閉館した[4]
施設
建築概要

新世界ビルディングは地上7階・地下2階・塔屋4階の鉄骨鉄筋コンクリート造り[注 2]。敷地面積は930.2坪、建築面積は591.5坪、総面積は44,141坪。設計は海老原建築設計事務所(海老原一郎・倉田康男・橋本朋之)が、構造設計は東大坪井研究室が行った。主体施工は佐藤工業が行い、内部装飾は乃村工藝社が担当している[6]

全館に日立のターボ式ヒートポンプの冷暖房装置が設置され、エアコントロール電子頭脳を用いたオートメーションという、当時の「近代建築科学のスイ」を集めたビルディングでもあった[7]。総工費は20億円とされる[8]
内部施設

新世界は、「温泉に浸り、食事をし、ゆっくり一日遊べて三百円、あるききれない娯楽のデパート」を謳っていた[3]。『近代建築』掲載の、開館当時のフロア構成は以下の表の通り(中央のエレベーターと階段を境にフロアが二分されている)[6]

1959年屋上プラネタリウム・展望台
7階バイキングレストラン・大食堂ビヤホール
6階サイエンスマヂックランド中華料理
5階プレイランド
4階マンモス劇場キャバレー和風料理街
3階喫茶公園
2階音楽喫茶
1階浅草名店街
地下1階飲食街宴会・演芸大広間
地下2階テレビニュース喫茶大温泉浴場

地下1・2階は大温泉浴場となっており、大人120円・小人100円の料金で、入浴のほかに寿司、卵丼、クリームソーダ[9]幕の内弁当鰻丼ハヤシライス[10]などのいずれか1品がつき、芝居無声映画[9]奇術、手踊り、寸劇、浪曲[10]女剣劇漫才落語[7]などを地下1階の演劇大広間で鑑賞することもできた[10]

1階はおみやげ名店街となっており[11]、浅草の名物名産を購入することができた[3]

2階は音楽喫茶(ジャズ喫茶)となっており、教壇のようなステージの上でカリプソマンボなどの音楽の演奏が行われ、ボックスはステージ方向に向けて設置されていた[12][7]

2階から4階まではフロア半分が吹き抜けになっており、1,000坪の空間にボックス状の客席を500席備えた、新世界名物のマンモス劇場キャバレーが設置されていた[13][7]。ここでは「五色の噴水カーテンと一〇メートルの宇宙ステージに展開される新世界ダンシングチーム総出演、延べ一〇〇人になる完全立体ショー」が毎夜3回上演された。またホステスも500人ほどがここで働いていた[13]。料金は午後5時半の開店から8時まではサービスタイムとして1セット(ビール1本・おつまみ・ホステス)が350円で提供され、午後8時からは650円であった。また、4階にある和食堂から、おにぎり、天丼、蕎麦などの料理をボックス席まで取り寄せることもできた。ショーは、作家の曾野綾子によれば「マイナー・スターたちをとっかえひっかえ使う人海戦術」で、剣舞カンカン踊り、「古い流行歌に合わせたバーレスクまがいのもの」などが演じられ[14]、漫画家の富田英三によればストリップダンスも踊られていた[10]

3階にはティー・パーク(公園喫茶)[12]または世界旅行喫茶[11]という名の広い喫茶室があり[12]、「ハワイ・コーナー」「ベニス・コーナー」「ラテン・コーナー」の三つに分けられて、異国情緒を醸し出す空間となっていた。ハワイではビーチパラソルの下にテーブル、ラテンはピンク色に統一されて中南米の風俗を取り入れ、ベニスは水にゴンドラを浮かべていた。また、中央ステージではムード音楽の演奏が行われていた[7]。曾野綾子は、「私は近眼なので、結構この道具立てにごまかされたが、ベニス・コーナーなどはタイル張りで水路ができているから、目がいい人が見たら、おふろの流し場を連想して幻滅を味わう可能性も大である」と述べている。その上の4階は和風料理店となっていた[12]

5階と6階は、子供向けの「マジックランド」「プレイランド」になっており[11][7][注 3]、動く椅子に乗って妖精の森へ入っていくアトラクションや、1回10円のゲーム、南京豆グリーンピース自動販売機も設置されていた[12]。ここには30円のチケットで入場できるお化け屋敷もあった[3]。6階には中華料理店もあった[15]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:60 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef