新三人娘
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新三人娘(しん さんにんむすめ)とは、1971年の同時期にレコード・デビューをした女性アイドル歌手、小柳ルミ子南沙織天地真理(歌手デビュー曲発売順)の三人を指す総称である[1]
メンバー

それぞれの人物の来歴・詳細・
ディスコグラフィは、各人物名の項目を参照のこと。

小柳 ルミ子詳細は「小柳ルミ子」を参照

愛称: ルミちゃん

キャッチフレーズ:"みんなの恋人"

出生名: 小柳 留美子

生年月日: 1952年7月2日

配偶者: なし(1989年大澄賢也(ダンサー・タレント)と結婚、2000年離婚)

子供: なし

歌手デビュー曲:「わたしの城下町」 - 1971年4月25日ワーナー・ブラザース・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)より発売

1970年代前半のヒット・ソング: 「お祭りの夜」「雪あかりの町」「瀬戸の花嫁」「京のにわか雨」「漁火恋唄」「春のおとずれ」「冬の駅」など

南 沙織詳細は「南沙織」を参照

愛称: シンシア

キャッチフレーズ:"南の島からきたシンシア"

出生名: 内間 明美

生年月日: 1954年7月2日

配偶者: 1979年(芸能活動一旦引退後)に篠山紀信(写真家)と結婚

子供: 長男、次男・篠山輝信(俳優・タレント)、三男

歌手デビュー曲:「17才」 - 1971年6月1日CBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)より発売

1970年代前半のヒット・ソング: 「潮風のメロディ」「ともだち」「純潔」「哀愁のページ」「傷つく世代」「色づく街」「ひとかけらの純情」など

天地 真理詳細は「天地真理」を参照

愛称: まりちゃん、白雪姫

キャッチフレーズ:"あなたの心の隣にいるソニーの白雪姫"

出生名: 齋藤 眞理

生年月日: 1951年11月5日

配偶者: なし(1986年に当時カフェバー経営者と結婚、1996年離婚)

子供: 長女

歌手デビュー曲:「水色の恋」 - 1971年10月1日にCBS・ソニーレコードより発売

1970年代前半のヒット・ソング: 「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「ふたりの日曜日」「若葉のささやき」「恋する夏の日」「想い出のセレナーデ」など

概要
小柳ルミ子
1970年宝塚音楽学校を首席で卒業後[2]NHK連続テレビ小説』で女優デビュー。翌年4月に3人の先陣を切り、「わたしの城下町」(L-1026R)でレコード・デビューを果たした。八重歯の愛らしいルックスに加え、楽曲の叙情・旅情的な雰囲気が、当時国鉄(現JR)が行っていた集客キャンペーン“ディスカバー・ジャパン”の流行りにマッチして同レコード盤は大ヒット。総合シングルチャートで12週に渡り連続1位を獲得し、同年のシングル年間売り上げ1位となった(ともにオリコン調べ)。2009年現在も、女性ソロ歌手では歴代1位の連続記録である。以降、同系統である演歌調の楽曲を順次発表し、ヒットチャート上位にランクインした[3]
南沙織
1971年春、まだパスポートが必要とされていた本土復帰前の沖縄から初上京。のちに所属することとなるCBS・ソニー関係者と顔合わせを行い、通算3度目の上京となった同年6月に南沙織の芸名にて「17才」(SONA-86183)でレコード・デビューを果たした[4]。オリコン総合シングルチャート第2位にランクインした本楽曲のヒットなどにより、歌い手と同世代層の聴衆が感情移入できるタイプの楽曲を、最初に歌ったアイドル歌手だと云われることがある[5]。また、南国風ではっきりとした顔立ちとその存在感については、後に南の夫となる写真家篠山紀信が「彼女の登場は、返還が目前とされた沖縄のイメージ・アップの為の国策歌手かと思ったほど印象が良かった。」と感想を述べている[6]
天地真理
1971年TBSテレビドラマ時間ですよ』のレギュラー役オーディションを受け最終審査には落選したものの、女優・森光子の提案により「隣のマリちゃん」役で出演。程なく「水色の恋」(SONA-86200)でレコード・デビューを果たした。当楽曲中の歌詞フレーズでも登場する 白雪姫 の愛称で親しまれたほか[7]、天地が微笑む顔写真が施された様々なアイドルグッズ(ウィスパー・カード、文房具、子ども用の自転車等)が企画されるなど、日本中を席巻。1973年暮れまでにオリコンではシングル5作で第1位を獲得[8]、アルバムでも5作で第1位を獲得しており、1970年代に発売された女性ソロ歌手のオリコンチャート第1位獲得数最高記録を残した[9]

こうして颯爽と歌謡界へ登場し、若年層を中心に爆発的な人気を得た三人を、1950年代に活躍した美空ひばり江利チエミ雪村いづみの「三人娘(ジャンケン娘)」、1960年代に活躍した中尾ミエ伊東ゆかり園まりの「スパーク3人娘」の例にならい、マスコミ等で1970年代の "三人娘" と呼ばれるようになった。またこの三人の存在や売り出し方が、今日に続く「女性アイドル」の在り方の基盤を築いたと語られる機会は多い。実際、この三人が歌手デビューした後には、それまでの芸能界にいなかったようなタイプの女性ヤング・アイドルが数多く登場した(麻丘めぐみアグネス・チャン浅田美代子キャンディーズ桜田淳子山口百恵等)。南沙織のプロデュースを手がけた酒井政利は後に自著の中で、「南沙織がいなかったら、のちの郷ひろみや山口百恵は生まれなかったかもしれない」と語っている[10]

なお、三人が揃って活躍した1972年から1974年当時は、単に「三人娘」「三代目・三人娘」などと呼ばれており、1972年12月24日に日本武道館で行われた三人の合同コンサート名も、“三人娘 夢のクリスマスプレゼント”であった。「新三人娘」という呼称は、後年便宜上に使われたものである[11]
特徴

先代の三人娘やスパーク3人娘のように、揃って映画に出演する機会はなく[12]、同期生の歌手仲間且つライバル、という傾向が強い。2006年12月20日に放送された日本テレビ系列特別番組『年忘れ2006豪華スタア紅白歌の壮絶バトル!!』で小柳ルミ子と天地真理が出演した際、小柳は天地について「ヒットチャートの1位・2位を競い合った同期」と述べている。一方で、三人揃って雑誌の取材を受けたり[13]、ジョイント・コンサートを行ったり[14]音楽番組等で共演する機会はあった[15]


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